高校3年の12月のちょうど今頃です。私はセンター試験を控える身ながら、友人と大阪近鉄花園ラグビー場に全国高校ラグビー選手権大会を見にいきました。進学校の受験生として「ありえない」「あるまじき」選択と行動と思われがちですが、私はそんなふうに思っていません。大阪に行ったから合格したと思っています。

私たちを出迎えてくれたのは、同年代の男の子たちの、それまで見たこともない「凄い姿」でした。「凄い姿」とは、大歓声沸き立つ競技場の真ん中で、埃と汗と血にまみれながら勇敢に戦う姿です。ある時はミスを犯し、あと一歩というところで届かないことが何度もある。激しく転んだり吹っ飛ばされたり、一見それは「カッコ悪い」「恥ずかしい」と思われがちな姿ですが、私にとっては全く、そうではありませんでした。トライを決めてガッツポーズを決める男の子より、すっ転んだり吹っ飛ばされたりしながらも、すぐさま立ち上がり走り始める姿に「凄い!」と心を熱くしたのです。

何をするにも間違いや失敗はつきまとう。それでも尚、成し遂げるために情熱を燃やし、力を尽くし、身を粉にして励む人こそ偉大なのだ、、、ということを、幸運にも入試本番直前に体感することができた。この経験がその後の試験に「プラスの影響しか与えなかった」のは言うまでもありません。

私にとって何が大事なのか。

それは他人に認められることなんかではなく、身を粉にして励み、力を尽くすことだったのです。何故なら、私自身が、男の子たちのそういう姿に胸を打たれたから。私の価値観はそこにあるのだと、本番直前に、はっきり気づいたのです。


近鉄花園ラグビー場で夫と知り合い、以降、私は夫の試合はほとんど全て見にいきました。毎回わくわくしながら足を運んだのは、そこに私の価値があるからです。アスリートは常にスーパースターやヒーローというわけではありえません。実際、夫も、あれだけ鍛えていながら激しく転倒したり、吹っ飛ばされたり、額から血が吹き出す怪我を負ったり、、世間的には「カッコ悪い姿」を何度も晒していました。しかし私は夫のそういう姿を「カッコ悪い」などと感じたことはただの一度もありません。私の胸を熱くしたのは、地面に叩きつけられ、一瞬這いつくばっても、すぐさま体を起こし走り始める、その瞬間の夫の「目」と「その先に見ているもの」だったのです。こうちゃんは、ラグビーというスポーツを通じて「傷つくことを恐れていては何もできない」ライフスタイルを身につけていました。それは「傷つく可能性」とどう向き合うかを模索し続けるライフスタイルです。

ミスや怪我なん、それ自体、なんも怖いことあらへん。いっちゃん怖いんは「もう、ダメかもしれん(この試合は負けるかもしれない)」と思う自分が一瞬でも顔を出すことや。それだけは絶対許されへん。

若かりし頃のこうちゃんは、弱い自分が一瞬でも顔を出すことを「絶対許せない」と言って懸命に努力を継続していました。自分への信頼感を蓄積することが「弱い自分」を封じ込める唯一の方法と考えたのでしょう。そういう「自分だけのテーマ」を持ち、悪戦苦闘、七転八起する毎日が楽しくて仕方がないと言っていたのです。そして夫の経験は息子たちに次の言葉で伝えられました。

負けることが怖いんちゃうで。負けるかもしれんと思ってしまう自分が怖いんや。

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