Red Chairという番組に登場した貴乃花光司氏の話が、刺さりまくったので紹介します。司会者が「これからいくつか単語を申し上げますので、連想される言葉を答えてください」という問答の中で、「子ども」という言葉に対し貴乃花光司氏が答えたのが

他人。

だったのですが、実はこの時私、氏は「他人」と答えるのではないかな、と予想していたのです。

その後インタビューが進み「YouTubeは見ますか?」という質問に、氏は力強く「見ます!」と答え、乃木坂を見ると仰いました。そして次のように述べられたのです。


礼儀作法、所作をものすごく躾けられている人たちなんだと思います。その仕草、所作というのが、
YouTubeを見ていますと表れてきて、それぞれの子たちが躾られて体に軸を蓄え、力士はその軸に鎧を纏っていくような、皮一枚ずつ強くしていくような感じなのです。


私は思わず見入り、そしてこの部分を何度も再生して味わいました。しつけが「軸」とはっきり仰っています。躾の軸に一枚一枚鎧を纏っていくように、強くしていくのだと。躾の軸が無ければ、鎧を纏うことはできない、強くしていくことはできない、と言い換えることができると思います。


氏は私と同世代なのですが、氏が若者の仕草や所作から背景にある躾に思いを馳せながら見ているということに、何と言いますか、ジンと来るものがありました。私たち、もうそんな歳になってしまったのですねと。そして、躾というものの重要性をわかっておられる、氏がそういう生き方をされてきたのだということを知り、感銘しました。


私は、貴乃花光司氏の「子どもは他人」という気持ち、わかります。私もそのような気持ちで子育てをしてきました。息子たちを「自分とは違う一人の人格としての他人」として、相対して来ました。これは私の子育てのこだわりでもありました。子どもにのめり込まぬよう、子どもを飲み込んでしまわぬよう、子育てヲタクかつ精神科医の子育てとして、ここだけはどうしても譲れないという気持ちで子どもに接しようと努めてきたのです。


お腹を痛めたとはいえ、私の中から外界に飛び出た瞬間から、私にとって、息子たちは「他人」だったのです。