2006年、関西屈指の進学校東大寺学園高校一年生だった少年が自宅に火を放ち、父親以外の全員が死亡するという事件が起こりました。教育虐待の代表的事件です。今から16年前の事件ですが、私の感覚だともっと前のように感じます。


父親は医師でしたが、家庭内では妻に対する身体的精神的暴力、息子に対する児童虐待の常習者でした。この父親は少年が幼少の頃から「医師になることが唯一絶対の生き方」という歪んだ考えを押し付け、医師になることを強要しました。


父親は医師。息子は東大寺。閉鎖的な家の中で何が起こっているかを知らない隣人には羨ましく映ったかもしれません。極めて日本人的なこの感覚も、教育虐待の温床になっているのです。以下、「僕はパパを殺すことに決めた」より引用します。



ぼくはこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり殴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強してるやないか。何か方法を考えてパパを殺そう。パパを殺してぼくも家出しよう。自分の人生をやり直そう。ぼくはそう思うようになりました。



この文章を読んで皆さんはどう感じるでしょうか。私は号泣してしまうほどの切なさと、嘔吐してしまうほどの嫌悪を同時に感じます。「パパを殺そう」と思う以外の道を失った子どもの苦しみは地獄でしょう。「パパを殺して人生をやり直そう」と思うしかなくなった彼の脳は既に善悪の区別すら判断できなくなっていたのです。東大寺学園中学に合格する知能を持っていたというのに。何と残念なことでしょうか。無念でなりません。