日本での国公立大学の結果も発表されて、日本全国で、歓喜にわいた人もいれば、悲しみの淵に沈んだ人もいたことでしょう。
私自身、大学受験にて挫折を味わった一人として、不合格になってしまった子たちには「何も恥じることはないし、全部意味があるんだよ」とだけ言いたいです。
私は日本の高校からアメリカの大学進学という道を選んだのですが、まずはコミュニティカレッジに行き、そこから四年制大学に編入しました。アメリカではよくあるやり方です。私が行きたかった大学は、カリフォルニアにある大学だったのですが、そのほかにも第二志望のワシントンの大学と、第三志望のポートランドにある大学を受けました。第一志望のカリフォルニアの大学は倍率も相当でしたが、私は合格することに自信がありました。私を取らないなんてありえない、とさえ思っていたのです。
しかし結果は不合格。推薦文など書いてくださりお世話になった高校時代の恩師に国際電話するも、声にならず。ただ、こちらの事情を察したのか、「泣いてもいいんだよ」と言われて、私は吐きそうになるくらい泣きました。
そして追い討ちをかけるように同じ週に第二志望の不合格通知も届き。私の根拠のない自信は崩れおちました。それから1週間後、私はポートランドにある大学から合格通知をもらえるも、第三志望の大学に行くなんて、とスッキリしない気持ちでいたのです。
ただ、他に選択肢もなく、その大学に行きました。その大学は小規模でしたが、だからこそ私でも留学生をまとめるリーダー職をやらせてもらえました。多種多様な文化背景の人たちと接する術を学ばせてもらいました。そこで出会えた仲間たちとは、今でも連絡を取り合っている仲です。
この体験のおかげで不合格になった子供達にも堂々と言えます。別に不合格になっても、自分が思い描いていた道よりも少し違うだけだよ、と。
合否という結果はその人の幸不幸を決めるわけではありません。例え運良く合格になっても、そこまでのプロセスにてやりきってなければ、どこか心の穴がぽっかり空いたようになっていることでしょう。周りがどれだけすごいね、と賞賛しようが、自分だけはごまかせないのです。
逆に不合格になってもやりきった、と次に繋げていける子もいることでしょう。やりきった生徒は、これからどんな道に進もうとも、やり切る人生を送ることでしょう。不合格であったとしても、何も恥じることはなく、堂々とすればいいのです。やりきったのですから。
そして自分が思い描いていたのとは違うけれど、より充実した人生が待っているのだと私は確信しています。