人生は無駄ばかり:損得という概念 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

先日中学生とこんな会話になりました。

私「塾ではこんなに集中して勉強しているのに、学校ではあまり勉強に集中していないって聞いたよ。」

生徒「はい、特に現地校ですけど、アメリカの歴史とか、原子の話とか。

なんか、こんなこと勉強しても将来役に立たないだろうし、無駄だなって思うんです。」

私「あぁ、確かに。役に立つ事はないかもね。。。」

生徒「無駄だなって思うと、勉強する気が失せて眠くなるんです。」

私も中学生の頃は、歴史の年号を暗記して何になるんだって思ってましたからね。


私「でもさ、無駄って思う事と、それを勉強しないって別だと思うんだ。」

生徒「どういうことですか?」

私「だって、無駄だって思っててもやることって世の中にたくさんない?」

生徒「???」

私「例えば、そうだなぁ、ゲームは?これこそ無駄じゃない?でもやるでしょ?それこそ時間を忘れて?」

生徒「あぁ、そうですね。」

私「他には、サッカーだって、生きていく上で必要?必要じゃないよね。これも無駄じゃない?でも、やり続けるでしょ。」

生徒「はい、サッカーもゲームも楽しいので」

私「そう、だから無駄かどうかはそれをしない理由にはならないでしょ。そんなこと言っていたら、飯食って、水飲んで、空気すっていれば良いってことになるよ。世の中のもの、ほとんど無駄だよ!あれもこれも無駄ばっかりだ。でもね、無駄だろうが何だろうが、それが楽しければ人間やるんだよ。ゲームだってサッカーだって楽しいからやるんだよ。」

生徒「なるほど。そう考えた事はなかったですね。」

私「そう、だから楽しい科目は喜んでやるでしょ?だから勉強しない本当の理由は、それが無駄かどうかじゃなくて、楽しいか楽しくないか、ってことじゃない?」

生徒「はい」


私「それでね、先生もなんでこんな好きでもない、楽しくない勉強をやらないといけないのかな、って考えた事があるんだ。」

生徒「先生もあるんですか?」

私「もちろんあるよぉ。社会の歴史とか、古文なんて大嫌いだったからねぇ。」

生徒「へぇ、先生でもあるんですね。」

私「今はめちゃくちゃ楽しいけどね。歴史も物理も。古文は未だに楽しくはないど。(笑)」

生徒「僕も古文は苦手です。昔の人の話なんて興味持てません」

私「そうなんだよ。でもね、そこで勉強しないって決めると、得損、どちらかというと損なんだよ。色々な勉強するけれども、それは自分の可能性を開くことなんだ。サッカーだって、やる前から楽しそうって思ってた?」

生徒「いや、始めは正直やりたくないなって。やり始めて、それなりにうまくなったら、楽しくなってきました。」

私「それと一緒だよぉ。楽しくなくても、やり続けて、力がついてくると楽しくなってくるんだ。そして、それは自分の可能性を広げる事にもなる。もしかしたら、歴史にめちゃくちゃ興味をもって、将来そういう仕事につくかもしれないよ。古文から何か人生のヒントを得るかもしれない。でもね、勉強しないって決めつけちゃうと、そこで自分の可能性もシャットアウト。そうなると、自分が損なんだよ。勉強しないことで、自分が損してしまうんだ。」

生徒「得か損ですか。」

私「そう、損得で言ったら、勉強していたほうが得することは多いよ。いいね、今日のポイントは二つ。人生は無駄ばかりで、それは勉強しない理由にはならないってこと。そして、勉強は損得で言ったら、自分には得だよ。そんな訳で、今日は話しすぎたね。さぁ、授業はじめよっか。」

生徒「はい」(*^ー^)ノ



という訳で

生徒達と話して、生徒の変化を目の当たりにすると

本当に嬉しいものです。