帰国子女:日本社会への適応 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

こんにちは。

今日はすごい嵐で

傘なんかさしていようものなら

吹っ飛んでしまいそうな勢いでしたね。


今日は、私の中学生時代、アメリカから帰国したときのことを少し話したいと思います。

私は、小学4年生から中学1年生までの3年半をアメリカで過ごしたのですが

想像していた以上に

自分自身はアメリカ文化に染まっていました。


前にも触れたとおり

あまり英語も上達せずに日本に戻ったので

日本に戻るのは苦労しないだろう、と私自身も思っていました。

ただ、3年と言う月日は、変化を与えるという意味では

多感な少年にとっては十分だったのだと思います。


まず何よりもびっくりしたことは

先輩と後輩の関係です。

言葉は敬語でないとならず、アメリカの日本人学校のような

学年を越えたオープンな雰囲気はありません。

俺が先輩で、おまえが後輩だぞ、という雰囲気。

それに慣れるだけで半年はかかりました。



また、授業においては

先生の言う事を黙って聞くスタイルが

どうしても馴染まず


英語の授業では

先生に対して、その発音は絶対に違う、と心で思いつつも

何も言えないもどかしさがありました。


また英語の授業では、先生に音読するように頼まれても

一所懸命、アメリカ英語の発音にならないよう

目立たないように気をつけていました。


それは、日本独特の「出る杭は打たれる」という雰囲気を察していたのだと思います。

毎回発表されるテストの順位

英語のテストで1位をとらないものなら

クラス中の視線を感じ

帰国子女なんだから

何でもできて当然でしょ

という心ない言葉を耳にしたこともあります。



周りの人たちからしたら

帰国子女は、アメリカで華やかな生活をしてきて

英語も楽に習得できたんだから

英語はできて当然のこと

他の教科もできて当たり前、という雰囲気があるのです。



どこまでも自分の努力ではなく

帰国子女というレッテルを貼られ

できるのが当然、という見えないプレッシャーと闘わなければいけない

それが「帰国子女」なのです。

それ故に

多くの帰国子女は、自分のアメリカでの経験を隠したがります。

そういうレッテルを貼られることなく、学校生活を送る知恵なのです。


アメリカでは、英語を第二か国語としてクラスで負い目を感じ

日本では、エリートとしてのレッテルを貼られ

いかなる努力も認められず、「帰国子女って良いよね」の一言ですまされる

ある意味、どこにいっても何らかの負担を強いられる

これが帰国子女の現実なのだと思います。


ただ、そんな負担があるからこそ

自己の向上に努められることができ

力を発揮できるのも事実であり

今思うと、あのプレッシャーがあって良かった、と思えます。

帰国子女は

やはり、恵まれた環境なのかもしれません。



さて、今週はサンクスギビングということで

塾は明日の火曜日からお休みに入ります。

こちらのブログも今週はこれでひとまず休憩し

来週の月曜日から再開する予定です。

それでは皆さん、無事故で楽しいサンクスギビングを♩