もうこのようなニュースを聞かない日はあるのか、というくらい
自殺が当たり前になってきている昨今です。
マンションから飛び降りか
友人のtwitterなどでも
「人身事故があり電車が止まってしまった。時間に間に合わない 泣」
というようなコメントが入ってきますが
誰かの死よりも時間が優先されるのです。
他人の死に対して鈍感になっている日本の現状を
映し出しているのではないでしょうか。
いえ、これは日本だけではないでしょう。
人が死ぬということ。
これは今の学校教育では議論されることはありませんし
日常生活において「死」というものが入ってくる余地もありません。
私たちは日々多忙ですし
「死」も老人ホームや病棟という閉じられた空間においこみました。
核家族中心の生活において「死」が目の前に提示される機会も多くはありません。
しかし、フロイトが言うように
「あらゆる生あるものの目指すところは死である」
というのは誰もが否定できないことであり
生あるものは必ず「死」を迎えます。
これほど皆が必ず直面する問題であるにも関わらず
私たちはあたかもそれを議論することを恐れるかのように
「死」というものをどこか遠くに遠くにおいやり日々を過ごしています。
死
現代がどこか空虚になってしまっている原因に
この問題に取り組まない社会があるのではないでしょうか。
死を見つめることは
生を見つめることであり
それは、より充実した生を送るために必要なことなのだと思います。
是非、機会がありましたら、
子どもと一緒に「死」について「生」について話し合ってみてください。