今日生徒達が
「ウソをついたらいけないんだよ」
という会話をしていたので
つい
「ウソなんかついても問題ない、それによって人を傷つけたりすることが問題なんだ」
と割って入ってしまいました。
(家庭の教育方針に逆らっていましたら申し訳ありません m(_ _ )m )
ウソも方便と言って
ウソによって人は守られてきました。
私も子どもの頃
「おへそを出しっぱなしで寝ると雷さんに取られるよ」
と言われ
最初は信じなかったのですが
ほら、と言ってそのお姉さんが見せたお腹には
おへそがなかったので信じてしまいました。
(そのお姉さんはおへそのところまでスカートをあげていただけだったのですが・・・笑)
その夜から、雷がなっている夜は
平静を保ちつつ、布団でおへそを必死に隠したものです。
子どもを風邪から守るためのウソ
決してついてはいけないウソではありません。
また、お世辞を言うことなど、ウソの典型でしょう。
一日お世辞を使えなくなっただけで
日本の社会は混乱に陥るのではないでしょうか(笑)
そういった意味で
ウソをついてはいけない、というのは
それ自体がウソであり
人を傷つけないのであれば
ウソは問題ない、と伝えられるべきなのではないでしょうか。
私もしょっちゅう子ども達にウソをつきます。
「先生は本当は10歳なんだよ、でも小学校から大学まで飛び級したの。」
などと言うと
「ウソでしょ?」「先生、ウソなんでしょ?」
と子ども達は何度も聞いてきます。
ひどい先生ですね・・・笑
もちろん、そんなウソは不必要なのでしょうが
コミュニケーションを活性化させて
言葉に敏感にさせる、という意味ではウソも教育になるのではないでしょうか。
口を滑らして
「アメリカ滞在は帰国子女と留学時代と今を合わせると、もう10年以上になるかな」
なんていった日には
「先生、さっき言った事と違うじゃない!
10歳で、アメリカ滞在10年以上っておかしいよ!」
と突っ込まれてしまいます。
これだけ言葉に敏感になれるのであれば
ウソも意味があるのではないでしょうか。
しかし、宿題をやってこなかったこの責任逃れのためのウソをついたのであれば
それは先生を傷つけ
生徒自身をも傷つけるウソです。
それは許されるものではありません。
ついて良いウソと
ついてはいけないウソ。
この二つを教える事も教育なのだと思います。