文章の訂正は一度に少ないほど意味がある | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

巣鴨では作文指導や論文指導に力を入れています。

その指導の上できをつけていることですが


車のパーツパーツをバージョンアップさせても良い車は作られないように

文章の部分部分を指摘・修正しても生徒が良い文章をかけるようにはならない、と思っています。



前回も述べましたが

インプットがあって初めてアウトプットが可能になります。

論文や作文も同じであり

読むことや聞くことから言語が蓄積され

そして作文なども、自然と文が修正されていくのです。



間違いを指摘することが一切効果がないわけではありませんが

多くを指摘をしてしまうと

美味しいお寿司でも食べ過ぎてしまうと消化されないように

間違いを指摘されすぎると

それは生徒の中で修正されずに消化不良となってしまいます。

もし間違いの指摘だけで文章がよくなるのであれば

私はとことん生徒の間違いをこれでもか、と修正することでしょう(笑)

しかし間違いを指摘ばかりされて気分がよくなるわけは無く

それは文章嫌いに発展してしまう可能性がでてくる。


では、指摘や修正ではなく何を指導するべきなのでしょうか。

本当に良い文章とは

生徒が窮屈にならずに、彼らが心から楽しんで書いた文章です。

そのためこちらができることは、間違いの指摘よりも

良い部分をとことんほめてあげる。

そして、一点だけ今後の課題も伝えてあげる。


そうやって自分が書いたものが認められ

文章の修正ポイントを1つだけ教えられると

ちょっとずつ自分の殻をわっていくのではないでしょうか。


ですので、間違いを指摘するのではなく

良いところをとことん誉めて、ワンポイントだけ修正するところを教えてあげる。

そうすれば、さらに良い文章書きになってくれるのではないでしょうか。



それでは、今週も楽しみましょう。