コミュニケーション:発音よりも大事なこと | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

日本の友人に会うたびに、いまだによく言われるのが

「英語しゃべってみてよ」

というものなのですが


もうこの質問は数え切れないほど聞かれたので

慣れている私は

「そんな質問をする時点で、きみの知的レベルの低さを証明している」

とアメリカ英語で流暢に話をすると

意味が分からない友人たちは「さっすが」となるわけです。

その後、何を言ったのかを日本語で伝えると首をしめられるんですけどね(笑)


そして悪いことに

いいなぁ、発音良くて、かっこいいよ

と決まったかのように言ってくる友人たち。

これが日本人を代表する考え方なのかもしれません。


個人的な意見ではありますが

発音なんていうものは

良い悪いというのはありません。

アメリカ的か、イギリス的か、はたまたシンガポール的か

はたまた日本語的か、インド的か、インドネシア的か

という分別があるだけです。


そして、発音よりも大事なことは

相手とコミュニケーションをとりたい、という意志があるのか

ということではないでしょうか。


例えばアメリカ人の方が、どんなに発音が良い日本語で話をしてこようが

自分のことばかり話し

こっちの話を聞いてくれなければ

あぁ、嫌だなこの人、と思ってしまうわけです。

逆に多少変なアクセントがあっても

この人とおしゃべりしていると楽しいな、と思うこともあるわけです。


「発音が良い」

聞きやすい英語をしゃべるにこしたことはありませんが


きれいな発音にこだわり萎縮するのではなく

コミュニケーションをとりたい、という意志を表現して

その場を楽しむ

これこそ本当に大切なことなのだと思います。