浅薄なメディアコラムの五月闇 広
読売新聞の名物コラム「編集手帳」が 、元所属タレントがジャニー喜多川氏から性被害を受けたと告発した問題を取り上げ、「メディアにとっても人ごとではない。正直、厳しく報じる機会を逸したことに羞恥を禁じ得ない」と自省の弁を述べたのは5月17日のこと。
今朝の編集手帳では自家撞着という言葉を用い、「ジャニー喜多川氏による性加害問題の報に接してから、この小難しい四字熟語がなかなか頭を離れない」と記し、 ジャニーズ事務所が新たに設置した外部専門家による再発防止特別チームについて、「先頃まで第三者委員会は作らないとコメントしていた。姿勢を改めたのならば事務所としても見解を示すべきだろう」と筆鋒鋭くジャニーズ事務所の姿勢を難じる。
編集手帳は、ジャニー喜多川氏による性加害問題を厳しく報じる機会を逸したことに、羞恥を禁じ得ないと自らを断罪したのではなかったか。その舌の根も乾かぬうちにジャニーズ事務所が姿勢を改めたのなら、事務所としての見解を出すべきだと指弾する。
大手メディアは、数十年前から周知の事実となっていたジャニー喜多川氏の性加害問題に目をつむり、ジャニーズ事務所と「良好な関係」を築くことで利益を得てきたのではないか。有り体に言えば、報ずべき問題、事案を報じず、自己(組織)の利益をむさぼっていたのではないか。そうした行為は一般的には「共犯」と言うのではないか。
ジャーナリスト面して無邪気にジャニーズ事務所の姿勢を難じる前に、報道機関としてなぜ、ジャニー喜多川氏による性加害問題を放置してきたのか、自ら厳に検証すべきだ。
自家撞着とは編集手帳の論説のことではないか。