咲き終へて寒椿とならぬ狭庭 広

 

小ぢんまりした庭に椿の木があり、前に住んでいた方が庭師に依頼して植えられたものらしく、それが12月初旬に白い花を咲かせる早咲きの椿であるため、寒中のこの時季は葉ばかりになっている。

 

自分で庭づくりしたものではなく、前住人のなされた庭の余得にあずかっているわけで、贅沢は言えないが、椿の花に雪が薄くかかる風情を思うと、早咲きの椿でなくてもよかったのではないかと。

前の方は、お茶を教えておられたとのことなので、雪見障子から燈籠ごしに雪椿が見えれば、一服の茶が引き立ったのではないかと、そんなことを思った。

 

しかし、手入れをしなくても、季節になれば花を咲かせてくれる椿にすれば、人間のそうした手前勝手な見方は迷惑なことなのだろうが、あれこれと贅沢な感情を抱くのは、やはり性(さが)なのだろう。

あるがままの姿をあるがままに受け容れることは、悟りにつながるのだろうが、凡人には「なお道遠し」である。