神仏どこにゐたのか冬の地震 広

 

阪神淡路大震災の1月17日がめぐってくると、当時のことがありありと脳裡に浮かび、胸のふさがる思いがする。

当日、自宅のマンションにいて、寝起きの悪いぼくが地震の直前、午前5時42、3分に目覚め、横になったままでいると、どんと下から衝き上げて来た。

「地震や」と起き上がり、横に寝ている妻を起こした。

 

妻は「どうしたのよ」という顔で目をあけたが、ぐらぐらと揺れる部屋に、ぼくの腕をつかみ「地震?」と顔をひきつらせた。

大阪市内のマンションの九階であったことから、揺れが大きく、部屋が軋み、書棚の本がばたばた落ちる音がし、マンションが倒れるかもと覚悟した。

 

倒壊するなら、ぼくらの寝室のある南側から倒れるはずだと咄嗟に感じ、北側の部屋にいる子供たちは助かると思った。

揺れがおさまると、すぐにテレビ(NHK)をつけた。アナウンサーは最初、名古屋付近で地震がありましたと言っていたが、その後、神戸付近で地震が発生しましたと報じ、しばらくするとNHK神戸支局の地震時のありさまを流した。

夜明けとともにヘリコプターによる神戸の被災状況を映し出した。

 

梅田にあった会社に出る途中のビルの窓ガラスが路上に散乱していた。大阪でこの状況だから、神戸は大変なことになっているだろうと、ニュースを見ていると、ビルが倒れ、生田神社の拝殿が倒壊するなど、その被害状況が明るみになり、ただただ言葉を失った。

 

地震の翌日、阪神電車で甲子園口駅まで行けるとのことだったので、そこから神戸に向けて東灘区の下水処理場まで歩いたが、民家が軒並みに倒れていた。

水道管が破れて水が出ている路上で、近所の方々がヤカンや鍋にその水を受けておられた。

不謹慎かもしれないが、神や仏はどこにいるのかと思わずにはいられなかった。