車窓よりちらりと見えしどんど焼 広

 

乗り換えの駅で区間急行に乗り、何気なく車窓に目をやっていると、神社の境内に男の人が四、五人いて、どんど焼の準備をされていた。

 

子供の頃、川岸の道端で町内の人が集まって注連飾りを燃やしていた。どんど焼と言わず、「とんと」と言っていた。蜜柑箱(木製)や木屑を燃やすのも同じく「とんと」と言っていて、その頃は焚き火と同様、暖を取るものだと思っていた。

銀紙につつんだサツマイモをとんとの中に入れ、あとで取り出して子供たちに分けてくれた。

 

神社のどんど焼の光景によって、そのサツマイモの美味しかったことを思い出した。

当時は、駄菓子屋でちょっとしたお菓子を買うぐらいのことで、焼き芋はご馳走であった。

 

あの頃は、バナナが果物屋の最上段にあって輝いていた。バナナを食べられる同級生を羨ましく思ったもので、物がふんだんになかったけれど、そう不自由にも思わず、それなりに愉しく過ごしていた。

今から見ると、貧しい時代ではあったが、心楽しい日々であった。