こんにちは
すがはま生協 素朴課
ごきげんみきです
今日は曇り
ああ、
なんて久しぶりなのかしら・・・
ほんとに勝手で
ほんとに自由にしちゃって
ながーい
お休みをいただいてしまいました・・・
のブログ再開
ありがとうございます
(まる2年放置でした.。ひー)
さて、
ここからは
すがはま生協の始まりの話でございます。
興味のある方はお進みください。
時は
大正14年
1925年の5月31日午前10時頃
(今から96年前)
今年の5月31日のような快晴
菅浜というところは
海と山に囲まれた場所で
半農半漁で
生活が成り立っていました。
当時いいお天気でしたので
男性は海に漁に出かけ
女性は
そう、ちょうど田植えの時期ですので
畑や田んぼに出かけている時間でした。
その時、火事が起こります・・・
家には
誰もいない・・・
当時の家といえば
かやぶき屋根が主流・・・
快晴・・・
南風が強く吹く日でした・・・
火は
飛び火となり
家々を襲います
次々と燃え盛り
どんどん広がります
あっという間
120件ほどあった家は
たった10件ほどを残し
全焼しました・・・
絶望です
すべてを炎によって奪われたのです。
想像しただけで苦しい
原因はわかりません。
しかし
生活はしていかなければなりません。
衛生面から大衆浴場を作ります。
人々が集まり
集会所を作りました。
そして、
そうなると
ちょっと風呂上りに
一杯やりたいね
(なんか明るいな。いい)
から
共同販売所が始まりました。
それが昭和10年頃。
そうして
菅浜の復興が勢いを増します。
火災当時
かやぶき屋根が主流だった時代
国の支援を受けて
一気に
瓦屋根の
近代的な村に
その復興の速さは
当時としては類をみなかったと
朝日新聞さんにも
掲載されたようです・・・
そうして
昭和47年
共同販売所から
組合員で成り立つ
菅浜生活協同組合として
始まった次第です。
復興の支えとなった販売所
区民によって守られ
区民の支えとなった販売所だったのですねぇ
今でも
細々と
区の支えとして
あり続けている
すがはま生協のおはなし
でした
(大衆浴場、どこ行ったんかな・・・)
(温泉あったらいいのにな)
そして
ここには人生100年の
リアルがあります。
強い意志で復興してきた
人たちに育てられているからか
80歳なんてまだまだ
若い若い若者
って感じ
私なんかより
馬力あるし
元気
(お口も元気なのよねー)
私だって
負けてられない
こんなに
元気な体が
あるのだもの
昔を知って良き思いを残し
これからを想像して
柔軟に
良きを
作り出していこう