年末年始のインド旅行。1月2日、デリーから日帰りでアーグラへ行く。特急列車で2時間だ。
アーグラ・カント駅に到着する。駅構内にある旅行会社の事務所に入る。
タクシーを雇ってアーグラ城とタージマハールを見に行く事になった。1800ルピー(2700円)だ。
タクシーの運転手のおじさんは陽気な人だった。しかもインド人訛りが強いけど、聞き取りやすい英語だった。
午前中はアーグラ城へ行く。なぜなら1月は濃霧のため午前中はタージマハールが綺麗に見えない場合があるからだ。
1565年に築かれたアーグラ城。大きいだけにムガール帝国の財力のすごさを感じる。
でも、同時代に日本で豪華絢爛の建造物を建てまくった豊臣秀吉がいたので、巨大建造物があっても不思議ではない。
アーグラ城に入っていく。城門が凄い。
城門の中に入る。
イスラム様式の建物だ。インド旅行前までは知らなかった事だが
ムガール帝国はイスラム王朝だった
高校時代、理系に進んだため、母校の制度では世界史が選択できなかった。
そのため世界史の知識がない私。インドはヒンズー教の国だと思い込んでいただけに、イスラム王朝があった事そのものに驚いてしまった。だが、さらに驚いたのは
ムガール帝国の創建者はチンギスハーンの末裔
だという。帰国後、世界史の年表を見ると、モンゴル帝国の中東部分がティムール帝国になり、そのティムール帝国の王族がインドへ渡り、ムガール帝国を創建したというのだ。
綺麗な模様だ。
ヒンズー様式とは違った内装だ。
台湾人観光客と出会う。繁体字中文版の「地球の歩き方」を持っていた。
日台仲良く記念撮影
昼ごはんを食べた後、いよいよタージマハールへ行く。
タージマハールの側までは車の出入りができないので、1Km手前から歩いていく。
近くまで車で行けないのは、車の排気ガスで白いタージマハールが汚れるのを防ぐためらしい。
タージマハールを見る。
写真で見るよりも、実際に目で見た方が感激する。
インド旅行する前、タージマハールがイスラム教徒のお墓だと知らなかった。
そのためモスクに似たイスラム様式の建築物だが
今までモスクに似ている事に気づかなかった!!
インドはヒンズー教の国という思い込みがあると、モスクに似ている事にすら気づかないと思った。
タージマハールはムガール帝国・第五代皇帝のシャー・ジャハーンの妃のお墓だ。
22年かけて建設したものだ。すごすぎる。
模様が綺麗だ。イスラム教徒のお墓らしくイスラム様式になっている。
タージマハールの中に入る事ができる。
凄いとしか言いようがなかった。
そして駅に到着する。タクシーの運転手のおじさんと記念撮影。
さて、駅に入る。するとチベットの僧侶達に出会う。
幸い引率者が日本人だったので日本語で話を聞く事ができた。
ダライ・ラマ14世率いるチベット亡命政府は北インドにあるが、彼らは南インドで修行しているという。
あとで知った話、今も中国政府によるチベット人弾圧があるため、弾圧を逃れるため、亡命者が後を絶えないという。
亡命者の受け皿として、インド南部にチベット人入植地ができたという。
インドでチベット問題を垣間見た。
ダライ・ラマのダライはモンゴル語で「大海」の意味だ。ラマはチベット語の「師」の意味だ。
16世紀のモンゴルの最有力者・アルタイハーンが、チベット仏教の最大宗派の指導者にダライラマという名前を送ったためだ。ちなみに昔のモンゴルはチベット仏教の信者が多かった。
チベットとモンゴルとインド。世界史を勉強していなかった私には別々の物だと思っていた。
だが、今回の旅のお陰で、モンゴル、チベット、中東、インドがユーラシア大陸の歴史のうねりの中で連動しあっている事がわかったのだ。