5月4日、阪急茨木市駅でママチャリを借りて、枚方大橋を渡り、淀川河川敷を北上し、岩清水八幡の近くにある飛行神社へ行く。

 

 

 世界で最初に飛行原理を発見した二宮忠八が、飛行機事故に犠牲者を弔うために作った神社で、自身が神主になった。

 

 ゼロ戦のプロペラが展示されている。

 

 

 中にある資料館に入る。

 

 二宮忠八がゴム動力で作った飛行機の模型がある。

 (資料館の中は撮影禁止なので撮影できず)

 

 

 上の黒い模型飛行の絵が、二宮が作ったカラスの姿をしたゴム動力の飛行機だ。

 

 飛行機が実用化できないかと考え、陸軍に支援を要請したが、却下された。陸軍の支援が受けられないと思った二宮は、資金作りのために、製薬会社に入社し、薬の開発・生産に励み、10年で役員になったという。凄い才能だ。

 そして開発資金ができた所で、京都の八幡市で開発を飛行機の始めたが、ライト兄弟の開発成功を聞き、開発途中だった飛行機を叩き潰して、その後、飛行機の開発はしなくなった。

 

 後になり、陸軍大将になった同郷の白川という人物に飛行機の話をしたら、白川が動き、二宮の技術が正しかったことを知り、陸軍が謝罪したという。

 そして名誉回復ため動いたため、二宮は勲章を受けたり、教科書に載ったりするようになった。

 

 

晩年、飛行機事故の犠牲者を祀るため、飛行神社を作ったのだ。

 ところで、ライト兄弟が飛行機を発明したのだが、決して幸せではなかった。妬みや軍事利用にできるなどがあり、スミソニアン博物館は、ライト兄弟の偉業を認めなかった上、特許争いに巻き込まれ、散々だったという。

 二宮は飛行機の開発ができなかったが、生きている間に評価された上、不遇な晩年とは縁遠い物だった。ライト兄弟は飛行機を開発したが、生きている間に、功績が認められ偉人扱いされることなかった。
 どっちも幸せとは言えないけど、二宮の方が救われた感じがした今日この頃。

 

 飛行神社や二宮忠八の事は知っていたが、京都府八幡市に飛行神社があるのを知ったのは、最近だ。知らない京都を発見した感じだった。