2月17日、かやぶきの里・美山へ行った。

 集落の端に知井八幡神社がある。

 

 普通の神社と思いきや、神社の由緒の看板を見る

 

 

 713年に妖怪が出没し、人々を恐怖していた。そこで天皇の命を受けた占い師が丹波の山奥に住む八つ頭の大鹿が原因と判断。

 ただちに天皇が甲賀三郎兼家に命じて、大鹿退治を行った。大鹿を退治できたため、神恩(神の恵み)への感謝のため、知井八幡神社ができたとなっている。

 この時気づいたのは

 

 天皇が妖怪退治の指揮を執っている!!

 

 だった。

 今の時代だと、猛獣が大都会に出没しても、首相や大臣ではなく、現場の長が指揮を執っている。だが、713年だと天皇自ら指揮を執っている。

 

 当時は社会が複雑ではなかったため、天皇の目が行き届いていた。

 もしくは大和朝廷の支配下が近畿圏内だったため、天皇の目が届いていたと考えられる。

 

 由緒書きには「天皇」となっていたが、どの天皇なのか調べてみる事にした。すると・・・

 

 元明天皇

 

 だった。女性天皇だ。

 

 元明天皇を調べてみると、藤原京から平城京への遷都、和同開珎の鋳造開始、風土記の編纂開始などがある。

 平安時代に摂関政治の藤原家の礎を作った藤原不比等を登用したのも元明天皇だ。

 

 平城遷都。当時、飢饉と疫病が流行っていたため、その難局を打開するため遷都したという。

 聖武天皇の引っ越し魔も、疫病などが蔓延し、政情不安だったため、何度も遷都を行った。

 

 遷都するだけでも経済波及効果があるのは事実だが、農民に多大な労務を課すため、逃げ出す農民が続出した。

 そのため農地を増やすため三世一身法や墾田永年私財法につながったという。

 

 当時は医学も科学も発達していなかったため、疫病や飢饉が起これば、悪魔の呪いのような恐怖に襲われ、遷都してでも呪いからの脱却という思考にならざる得ないのかもしれない。

 特に元明天皇の場合、疫病で息子である文武天皇を亡くしている。文武天皇の跡を引き継いだのが元明天皇だ。

 

 白村江の戦いの関係で、九州で生まれたという説があり、幼少期は近江に住んで壬申の乱が発生。

 激動の時代を生き抜いた天皇だったと思える。絵馬の猪が激動を表しているようにも思えた。

 

 

 美山にある小さな神社だが、元明天皇の事を知るキッカケになった。

 

 

 

 

 

 2月17日、かやぶきの里・美山へ行く。

 JR山陰本線の日吉駅で降りて、丹南市営バスに乗って、かやぶきの里へ向かう。

 かやぶきの里に到着したが、あまり雪がない。そこで終点の美山自然文化村まで行く。この辺りは白銀の世界だった。

 

 

  ここから、かやぶきの里まで歩いていく。1.5Kmぐらいなので、写真を撮りながら歩くと30分で行けてしまう。

 

 

 お昼だが・・・

 

 飲食店はすべて高い!!

 

 ジビエ料理といっても、高いお金を払って食べたいというわけでもない。

 幸い商店を発見。菓子パンを買う。

 

 

 店の入口の張り紙を見る。

 

 

 あまごが釣りがあるのかと思った。マンホールを見ると、あまごではなく

 

 

  鮎の絵柄

 

 だった。

 

 茅葺屋根の集落に着く。まさに

 

 日本の原風景

 

 

 

 まさに、かやぶきの里

 

 そして美山民俗資料館に入る。

 

 

 農機具の展示がある。

 

 

 生活用品の展示もある。

 

 

 だが、ここからは日本の誇るべき物が展示されていた。

 

 江戸時代の文書だ。文政5年なので約200年前の物だ。

 

 

 農民が普通に読み書きしていた証拠

 

 日本人にとって何とも思わない事だが、海外だと驚きの話だ。

 200年前の識字率は先進国のイギリス・ロンドンでも20%と言われていた。

 ヨーロッパだと、一部の階級だけが知識と情報を独占していた。だが、日本では庶民も知識も情報も持っていた。

 

 そして浄瑠璃の道具の展示もあった。

 

 

 

 農民が普通に浄瑠璃を楽しんでいた

 

 これも200年前の海外ではありえない話だ。

 

 江戸時代は庶民も文化的だった

 

 江戸時代は科学面では欧米よりも遅れていたが、文化面を見ると遅れていたわけではない。

 それどころか特権階級ではなく、庶民までも文化水準が高かった。

 

 

 集落を散策していると、中国語が聞こえてくる。何人かに声をかけると、台湾からの観光客だった。

 雪を触って大はしゃぎする台湾人の子供たちを見た。台湾だと高山以外では雪が見れない。

 

 

 日本の原風景を見ながら、農家の文化的な暮らしまで垣間見る事ができた。

 

 年末年始のインド旅行。

 12月30日未明のデリーの空港のボーディングブリッジの隙間風が冷たかった。気温は10度を下回っている。

 出発前に気温を調べたら、最高気温20度以上、最低気温5度だった。

 

 インドは暑いという思い込みは完全に吹き飛ぶ

 

 実際、朝のデリーを見ると服装は冬服で厚着だ。

 

 

 三輪タクシーの運ちゃんも厚着。

 

 

 でも、日中は20度を超えるので、厚着だと暑い。

 寒暖差が激しいのだ。

 

 寒いだけではない。

 

 1月のデリー周辺は濃霧が発生する!!

 

 特に朝方に濃霧が発生する。ラール・キラーの朝の写真だ。

 

 

 昼近くになると、濃霧が晴れてくる。

 

 

 ニューデリー駅の朝。

 

 濃霧のために鉄道や飛行機が動かなくなる事もある。

 

 

 旅行中は運よく濃霧の影響を避ける事ができた。

 楽しかったインド旅行。ニューデリー駅の夜景を見て、地下鉄に乗って空港に向かった。

 

 だが、最後の最後で濃霧にやられた。1月4日の未明の飛行機で帰国なのだが・・・

 

 帰りの飛行機が濃霧で飛べなくなった!!

 

 全日空の人に聞くと、年に4、5回あるという。

 飛行機は9時間遅れで出発した。成田空港に着いたのは

 

 午後9時30分

 

 だった。伊丹への乗り継ぎができないどころか、関西に帰る手段がない。

 翌日は仕事だったため、上司に連絡した。幸い、仕事に支障がでなかった。

 

 全日空が羽田空港近くのホテルを用意してくれた。送迎バスでホテルへ向かう。

 

 

 朝食はバイキング。いつも国内旅行などでは、朝食をつけない。安宿ばかり泊っている。

 

 なんだか至れり尽くせりなのに感激してしまった。

 

 そして羽田から朝7時発の伊丹行の飛行機に乗る。富士山を拝む。

 

 

 富士山を見た後、飛行機内で爆睡。

 そして無事、伊丹空港に到着した。

 

 濃霧にやられたのは不運だったが、全日空の至れり尽くせりの対応には感激してしまった。

 それに濃霧でなかったら、成田から羽田へは自腹で移動だったので財布にも優しかった。