世界とはなんだろうか。諸君らは自身が住む世界と、自分自身との境界について考えたことがあるだろうか。
世界が存在することに疑問を抱いた者はいないだろうか。
我輩はふと思う。自分が死んでも世界は続くのかと。自分も、自分以外の周りのものもすべて、脳内のなんらかの現象が起こした幻ではないかと。
もしそうであれば、そもそも脳という概念すら作り出されたものだし、世界の法則も土も光もすべて何か偉大なものが創り出しただけとしか言えない。
我輩は世界の本質に迫りたいと思った。少々浅はかかもしれないが、この究極の難題に三つの場合分けといういとも簡単な手法で臨んで見ることにしよう。尚ここでは世界を人間世界のみと考える。
①みんなの世界
つまり一人一人の集合としての世界であり、生きとし生けるものすべてが平等に自我を持っている。
この場合、神が世界を創ったというのはベストな考え方であろう。もしこの場合であれば、自分以外の全ての人間も自分と同じであると考えられ、もっともポピュラーな考え方でもある。
②誰かの世界
特定の誰かが創り出した世界。一人かもしれないし複数人かもしれないが、この場合人間世界は文明の成立前から本質的に不平等となる。
この時世界は管理する人間と管理される人間に分かれるが、管理される側は誰に管理されているのか全く気づかないどころか、別れていることにも気づかない。
③自分一人の世界
つまり自分が考え出した世界。自分が想像するあらゆるイメージ、潜在する観念などが具現化し目の前に現れる。もしこの場合であってもこれを証明することは絶対にできないし、できたとしても全く意味を持たない。
自らの死とともに消滅すると思われるが、そもそも死すら訪れないかもしれない。
以上が世界を把握する三つの場合分けである。しかしこれらはあくまで物事を一面から見た場合分けであり、厳密にはもっと多く、無限に分類しなければならない。
我輩はこれからも世界の核に迫ろうと思うが、読者諸君にも考えて欲しい。世界とは何か。自分とは何か。存在とは何か。