モバイルサイトオリジナルインタビューが掲載されました
そちらの一部をご紹介します
是非読んでください
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【三遊亭とむ インタビュー】


ピン芸人・末高斗夢として 12年間にわたって活動を続け「ダジャレ界のプリンス」としても親しまれていた2011年8月に突如、 三遊亭好楽に入門し、3年の前座修業を経て二ツ目に昇進。

2015年11月1日、2日に北沢タウンホールで全国ツアー「ラブファントム 2015」東京公演を終え、絶好調の三遊亭とむに直撃インタビュー。

落語や、自身の今後について熱く語って貰った。 





――とむさんが落語を聞き始めたのはいつですか?

ピン芸人をやっていた10代の頃に、当時の事務所の社長から「落語を見に行こう」と誘われたのがきっかけです。
先代の林家三平師匠の30年前のCDを聞いて駄洒落を言った後のフォローの間をストップウォッチで計ったりして勉強していたんです。

――秒数まで計って⁉︎
実際に落語に触れるきっかけは?


当時の林家いっ平さん(現:林家三平師匠)がホリプロに所属していた時に
『プリンスの会』という落語会をやっていて、その会の監修が春風亭小朝師匠で、打ち上げの時に何度もお話させてもらったりしていたのですが、ある日「落語やりたかったら言いなさいね」って言われて。

――小朝師匠に! すごい展開ですね。

そんなこんなで、落語は意識していたんですが、新宿明治安田生命ホールで行われた立川志の輔師匠の独演会に行った時に、すごく感銘を受けまして…。

なにせ当時の僕は大道具を使っていたので、10分の芸なのに運送会社に連絡しないといけない。それが志の輔師匠は1時間30分、しゃべりだけで泣かせて笑わせる。

――ピン芸人の時代は、5台つなげた炊飯器を取り出し「ゴレンジャー(5連ジャー)!」みたいに小道具を使った駄洒落をやっていましたよね。

はい。
営業の際は運送会社との戦いです。
土曜日に北海道で日曜日に鳥取とか、距離が離れている場所だと運送が間に合わないので、2組の道具を用意したりとか。
開演時間を過ぎてから荷物が運ばれて来るという日もあったりして、それに疲れきっていた時期だったので余計に志の輔師匠の落語が心に沁みたのかもしれません。

――その後、どう行動されたんですか?

実際に落語やってみたいと思うようになって、
小朝師匠に会いに行ったんですが、焦燥感に駆られて、
なぜだか仙台の独演会に東京から夜行バスに乗って会いに行きました。

――東京でもお会いできるのに(笑)
どんな様子だったんですか?


その時の方が、実際に今の師匠(三遊亭好楽)に弟子入りした時よりそれっぽいシュチュエーションでしたね。
小朝師匠に「どうしたの?」と聞かれて「落語やりたいです」と言ったら「良いですよ」って言って頂けて。

――そこから落語を教わるんですね。

実際は小朝師匠はお忙しいので、弟弟子の方に教えて貰うんですけど、今考えても「なんでこの落語を教えたんだ?」と思うくらい難しい落語を教えて頂きました。

――ちなみになんという落語ですか?

米朝師匠の新作で「一文笛(いちもんぶえ)」という落語なんですけど。
あまりにも難しいので、やる気をなくしてしまいまして…。
酷いですよね。自分から志願しておいて1年間くらい放置していたんです。

――そこから、再び落語を志す動機はなんだったのですか?

2011年の東日本大震災が起きた時に、いてもたってもいられず、芸人仲間で集まり被災地へボランティアに行ったんです。
支援物資などを届け、現地の皆さんの前でネタを披露することになり。
マギー審司さんは手品で大盛り上がり、島田秀平さんは手相で大盛り上がり、自分の番となり、いつものネタを披露したのですが全くウケず…。
むしろお客さんから「頑張れ」と真顔で言われてしまいまして。
被災地に応援に行って、逆に応援されてどうするんだって。
すごく落ち込みました。




どうにかしなきゃいけないと思って一生懸命考えた時に「落語をもう1回やろう!」って思いまして。
本当におこがましいんですが、芸人仲間のライブで披露した落語のDVDを小朝師匠に「観て下さい」って持って行って、1週間後に「どうでしたか?」って聞きに行ったりしていたら、小朝師匠も面倒くさくなったのかも知れないですけど「落語家になれば?」って言って下さって。
「でもうちはダメ。君みたいなのはつぶされちゃうから。……好楽兄さんのとこかな」って。

――誘われてるんだか、断られてるんだかわかりませんね(笑)
――ご挨拶にいかれたんですか?

はい。
浅草演芸場の一門会でご挨拶した2日後、水天宮のロイヤルパークホテルで改めてお話させて頂いて。
高座では「お酒呑める?」と聞かれ、「呑めます」と答えたところ、「いいねぇ」と言われ入門が決定。って話しになっているんですが…。
実際は、一旦考えるように言われて別れたんです。

――その日に入門した訳ではないんですね?

改めて考えてみると、
小朝師匠は「お笑いと二足のわらじでやれば良い」なんて言って下さっていたのですが、やっぱり落語の世界は厳しそうだし取り下げさせて頂こうと思って。

お断りするなら、8月6日では師匠の誕生日なので、気を悪くさせては申し訳無いと思い、前日の5日に電話しようと決意したんですが…。

一人で電話するのが怖かったので、同期の芸人ハッポゥ君に一緒にいてもらって電話しました。

「伝統芸能って厳しいと思うんです…」と話し、「だから、すみません……」と言おうと思ったら、そこから言葉が出なくなっちゃって。
そうしている間に、師匠に「大丈夫。その考えがあったら大丈夫。明日が私の誕生日だから明日入門ね!おめでとう!」って言われてしまい、勢いに押されて
「はい、よろしくお願いします」と即答してしまったんです。

――まさに落語の様な入門決定ですね(笑)
ピン芸人時代と、落語家との違いってなんですか?


お客さんの世代も違いますけど、落語は師匠がいて修行制度ってものがあります。
ネタの話だと今のお笑いは3分間に、いかに余計なモノを削っていくかが大切ですけど、落語は物語の中で日常を見せていくものでもあるので、無駄な部分をあえて入れることで物語の世界観を膨らませて面白くしていきますね。
だから、陸上に例えるとマラソンと短距離くらい似ているようで全く違うものかも知れません。

――落語がマラソンって事ですね。
修行制度というのは、具体的にどんな事をされるのですか?


お茶出し、畳み、かばん持ちとか沢山あります。
例えば、畳みというのは、師匠の着物を畳むのですが、自分の師匠以外にも全部の師匠の着物を畳まなきゃいけないんです。
それぞれの師匠によって着物の畳み方が違うので、全員分の畳み方を覚えなければならない。

――え! それぞれ違うのですか?

この師匠は、袖を返す。袖を合わせる。
2つに折る。3つに折る。とか、
風呂敷の中に着物を入れるのですが、羽織→着物って順番の師匠もいれば、着物→羽織で一番下に帯を入れるって決めている師匠もいらっしゃって。
これは「おもてなし」っていう “楽屋で師匠をもてなせない様じゃ、お客さんをもてなせないよ” という考え方です。
お茶の温度も師匠によって好みが違いますし。
初めて会う師匠とご一緒する場合は協会に電話して聞いたりしてましたね。

――その他にはどんな事をされるんですか?

お囃子のお師匠さんの三味線に合わせて太鼓叩くのが前座の仕事なので、
太鼓の叩き方を覚えなくてはなりません。
あとは、高座返し(前の演者が終わり次の演者が上がる前に、座ぶとんをひっくり返し、羽織とか湯呑みがあれば片付け、次の演者の 「めくり」(演者の名前を書いた紙の札)を返す)をしたりとか前座を一席務めたり(開口一番が前座の時間。だいたい10分程度の落語をする)とかですね。

――他に、好楽一門の変わったルールってありますか?

普通は失礼にあたるので前座の間は、師匠の前でお酒とかは飲んじゃいけないんですが、うちの一門だけ前座でも一緒にお酒飲むし逆に飲まないといけない。

さすがは23歳で酒飲み過ぎて破門されただけありますよね。
話は変わるんですが、先ほどネタのお話をされてましたが、三遊亭とむさんの高座では古典と新作どちらが多いのですか?


新作も沢山作っているんですが、古典のほうが多いですね。

――そうですか。逆かと思ってました。

ピン芸人をやっていた時代だって、コントとか書いたことなかったですから。
当時は駄洒落をやってましたからね。




逆に不思議なもので、落語家になってからの方がテレビも見るし、ネタも作ってます(笑)
お笑いやっている時は、駄洒落考えて、小道具の心配してるだけでしたから、
今の方がコントを真剣に見ています。

――2013年のR-1グランプリの決勝に進出した時の落語は?

あれは、昭和の初期の方で、三遊亭圓右師匠の新作を「これを芸能人でやったら」って、R-1用に芸能人を増やしたりして作りました。

――入門して1年半くらいでしたよね。

そうですね。
R-1は第1回から参加しているんですが、ピン芸人の頃は最高で準決勝だったので、決勝進出は嬉しかったですね。

来年もあるなら、新作落語3分で挑戦したいですね。

――楽しみにしてます。

もともと、芸能界にいらっしゃったとむさんですが、落語家になられてから交友関係は変わりましたか?


落語家になってから、すごくお世話になってるのは笑福亭鶴瓶師匠ですね。
前から面識はあったのですが落語家になったことで、より親しくさせて頂いてます。

――ウエンツ瑛士さんも独演会にもいらっしゃるくらい仲良しですよね?

僕が19歳、彼が17歳からの付き合いです。
「ライオン先生」という竹中直人さんが教師役の学園ドラマで共演したんですが、そのドラマに出ていた生徒役は今でも活躍している人が多いんです

――学園ドラマと言えば、「野ブタ。をプロデュース」にも出演されていましたよね

「野ブタ。をプロデュース」に出演する事が決まった2時間後に「ラジかるッ」の総合演出の方が「天気コーナーで使いたい」って言って下さって……
「すみません。3ヵ月だけドラマ出演しなきゃいけないので、ドラマが終わったらお願いします」ってお断りしたら、
代役で出演したザ・たっちが「ちょっと! ちょっと、ちょっと!」で結果出しちゃって、そのポジションは奪われちゃったんです。

――2時間後って! すごいタイミングですね

それでも「ラジかるッ」の流れで中山秀行さんにもお世話になってますし、
「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で7年間やらせてもらったので、大竹まことさんにも大変お世話になってますし。

――大竹まことさんには番組ですごくイジられてましたよね。

そのお蔭で、リスナーの方にすごくナメられてるんですよ。
この間タクシー乗った時も、運転手さんに行先伝えてから、なんか変な雰囲気になって、僕の声色を確認するように「寒いですね」とか無駄に話しかけてくるんです。
「もしかしてなんですけど、三遊亭こうもり改め、三遊亭とむさんですか?」って聞かれて、「何で知ってるんですか?」って答えた途端に「お前か!!」って言われて

――お前!って(笑)

酷いですよね。
「いつも女にうつつを抜かしやがって」「大竹さんを怒らすんじゃない」とか、タクシーの運転手さんから、大竹さんと同じような説教をされました。
一応、客なんですけどね。

――愛されてますね。とむさんは、多趣味で変わった資格もお持ちですよね。

水ソムリエの資格を持ってます。

――水ソムリエ!?

なにか変わった資格を取得しようと思って雑誌を読んでたら、水ソムリエの一期生を募集していて。
一期生だから、まだ環境も整ってなかったんですが、資格を取得して
「利き水、出来ます」と掲げていたら、それで「アッコにおまかせ」の生放送に出演が決まっちゃって。
オンエア3日前に出演が決まったんですけど、コンビニで色々な水買って試しに挑戦してみたら、1個も当たらなくて。

翌週はもう決まった企画があったみたいで、2週間後にオンエアする事になったので、2週間毎日水を5ℓ飲みました。

――毎日5ℓも!

水を5ℓ飲んでただけだったので、4kgも痩せました。オシッコも止まらないし。
でも毎日5ℓ飲んでると、だんだん味が分かるようになってきて、本番は全部一発で正解出来て、アッコさんにも「初めて、凄いと思った」って言って貰いました。
でも大変だったので、もうオファー受けてません。

――全部正解出来ちゃうあたりは、プロ根性がすごいですね。
入門してから4年。昨年の二つ目昇進興行から1年が経ちますが、心境に変化はありますか?


自分で言うのもなんですが、
4年前の自分からすると、随分真剣に落語に対して取り組めるようになった気がします。
よくもあんな感じの勢いで転身したのに、それこそ先程お話したマラソンの例え話じゃないですけど、今は「マラソン(落語)」が面白いと思ってるので。
それと、自分の性に合ってる気がします。

――二つ目昇進興行の際には「2020年東京オリンピックまでには真打昇進」とおっしゃっていました
あとは、R-1グランプリでもう一度決勝進出して、今度は優勝したいですね。
「R-1」のRは落語のRですから、落語で優勝したいです。

――落語で優勝したらカッコ良いですよね!!

「マラソン(落語)が楽しくなってきた」なんて言ったので矛盾しちゃうかも知れませんが、やっぱり短距離(お笑い)の人間としては短距離もちゃんとやっていきたいんですが。

マラソンの形で短距離も優勝したいです。
やり方次第では出来ると思うんです。



――2015年11月から「三遊亭とむモバイルファンサイト」も始まりましたが、どんなサイトですか?

せっかくチャンスを頂いてサイトを開設するので、このサイトでしか見れない事を沢山やっていければと思ってますし、
これを機に色々な事にチャレンジしていきたいです。

――チャレンジと言えば、来年から毎月独演会を開催するそうですね。
そうとう大変な事ですよね?


地獄です(笑)
でも、その現実は考えない様にしてます。
可能だったら、モバイルサイトと連携して独演会の様子も流せたりしたら面白いかもしれませんね。

――本日は、長いお時間ありがとうございました。


三遊亭とむ
(さんゆうていとむ 1983年12月31日 )

別名義・旧芸名:末高 斗夢(すえたか とむ)
旧高座名:三遊亭こうもり(さんゆうてい こうもり)
東京都新宿区西早稲田出身。
三遊亭とむ事務局、円楽一門会所属。

来歴
1999年2月
末高斗夢としてお笑い芸人デビュー
(ホリプロコム所属、2011年9月14日まで)
2000年
講談社 ミスターヤングマガジングランプリ受賞
2011年8月
三遊亭好楽に弟子入りし、落語家に転身
2011年9月
両国寄席にて「三遊亭こうもり」として高座デビュー
2013年2月
『R-1ぐらんぷり2013』決勝進出
2014年4月
伊勢神宮 外宮せんぐう館にて落語家初の奉納落語
2014年9月
二ツ目昇進「三遊亭とむ」に改名



三遊亭とむ 公式モバイルサイト