1月29日(日)

 昨年は漱石が熊本に来て、120年、没後100年の記念年で、熊本市でも多くの催しがあり、またテレビでも特集番組が多く放映され、夏目漱石に親しみを持った年でした。こんな中、ふと目にした文庫本、「心を癒やす 漱石の手紙」(矢島裕紀著、小学館文庫)の帯出しの言葉に目が引かれました。

 帯出しには、「小生(夏目漱石)は人に手紙を書くことと人から手紙をもらうことが大好きである。」(森田草平宛て書簡より)、また、著者矢島氏の言葉で「そのやさしさは、時代を超えて、読む者の心に響く。」とありました。昨年放映された、NHKテレビ番組、「漱石悶々」の中で、漱石と祇園の茶屋の女将多佳との膨大な手紙のやり取りが、後半、ユーモラスに描かれていましたが、このような事とも関連していたのかと思いました。

 また、この文庫本の゛はしがき゛の中に、「漱石の遺した書簡は、現在、把握されているものでおよそ2,500通」とあり、例えば、月に10通書いたとしたら、これを20年間続けたことになります。大変な数と思います。

 普段、相手に伝えるのに、電子メールを多く使って、大変便利であるものの、やはり,手書きのハガキや手紙をもらうと嬉しい。そこで、なるだけハガキや手紙を書こうと思いますが、なかなか筆が遅くなります。しかし、夏目漱石が手紙が大好きと聞けば、大きく応援されたようでガンバッテみようかとの気になります。

 この夏目漱石が手紙が好きだという言葉が出ている手紙を読んでみようと、文庫本にあったこの手紙の日付(明治39年1月8日)を元に、市立図書館にある、夏目漱石全集(十二巻、書簡集、岩波書店)を借りて捜して見ました。(この日付けからは、漱石が初めての小説゛我が輩は猫である゛を雑誌ホトトギスに連載中の時と思われます)。当時漱石は39才で、約15才も若い小説家志望の漱石門下生、森田草平氏宛(本名森田米松)手紙の中の最初の数行の所に、上記の言葉がありました。(下記写真参照) この言葉と共に゛面白く拝見致しました゜、゛そこで、また一本進呈します゛とかの言葉もありました。

 私は、この手紙一つのみを読んだけですが、肩のこらない、自然な感じの手紙だなと思いました。普段、手紙を書くとなると、年上の人、また年下の人等、宛先にもよりますが、何となく力んでしまう。このように自然に書けたらいいなと思いました。。