皆様 ご機嫌いかがですか?

 

 

あなたの心がラクになる

物語(ストーリー)を届けます

 

~TheーEssence~

あなたに必要なものを

呼び覚まし癒す

 

エッセンシャルライター

(Essential writer)

川居 永佳

(かわい えいか)

です

 

 

税理士であり

インフルエンザ脳症による

高次脳機能障害児の母親

です

 

 

 

はじめましての方は、

川居永佳のプロフィールをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「心がラクになる」いう言葉が

大好きな私は

自分の心に響いた出来事を

物語(ストーリー)として書き

 

 

私自身の苦しかった心を

ラクに変えてくれた

TheーEssenceメソッド

たくさんの方々に届け

 

 

あなたの「心がラクになる」

お手伝いをします

 

 

 

今日はコロナで自宅療養中だった

中学1年生の長女の中学校初登校日です

 

 

 

入学式から1週間、家の中に籠り

ついでに小学3年生の次女も

濃厚接触者として家にいる生活が

やっと終わりました爆  笑(ホッ!)

 

 

 

長女は初めて中学校の制服を着て

自分で髪の毛を結んで身支度

 

 

 

その姿を見ていた次女も

「私も自分で髪の毛を結ぶ!」

と言い出しました

 

 

 

ああそうかぁ…

幼稚園の頃から毎日

子ども達の髪の毛を結ぶことは

母親の私の仕事だと思っていたけれど…

自分で出来るようになったのね

 

 

 

たったこれだけのことだけど

朝の準備時間に余裕が生まれ

子どもの成長を感じる…

 

 

さてさて「子どもの成長」と言えば

「子どもの変化」ということでもあり

それは次女が高次脳機能障害と宣告されたときに

私が一番気がかりだったこと

でもあったのです

 

 

 

ですので今日は

インフルエンザ脳症による

高次脳機能障害児の母親から見た

4才から8才までの子どもの変化

書いてみたいと思います

 

 

 

次女は4才の時に突然痙攣を起こし

インフルエンザ脳症の診断後

高次脳機能障害となりました

 

 

 

高次脳機能障害とは病気や事故により

脳にダメージを受けたことによる後遺症です

 

 

 

怠けているわけでも

ふざけているわけでも

親のしつけのせいでもないけれど

 

 

 

勉強しても覚えられなかったり

同じことを聞いてしまったり

気が散りやすかったりします

 

 

 

見た目には分からないから

「見えない障害」です

 

 

 

大人でも交通事故や

脳出血、脳梗塞、脳腫瘍などが原因で

高次脳機能障害となる方はいらっしゃいますが

子どもの高次脳機能障害の情報は

やはり少ないように感じます

 

 

 

私が言語聴覚士の先生から初めて

子どもが高次脳機能障害であることを告げられたのは

インフルエンザ脳症受傷から17日目のこと

 

 

 

「指示が通らなくなる」

と言われた言葉が強烈で

私は長らくこの言葉に縛られるようになりました

 

 

おそらく先生は

リハビリや成長によって変化することも

伝えてくれていたのだとは思いますが

その時の私は初めて耳にする

「高次脳機能障害」という言葉を

受け止めることがやっとでしたから

 

 

 

「指示が通らなくなる」

 

 

 

そんなことを言われたら

親としては不安になるばかり

 

 

 

「人の言っていることの意味が

 分からなくなったら

 この先この子はどうなるのだろうか?」

その恐れは4~6才頃の幼稚園時代は

特に強かったです

 

 

 

4才のインフルエンザ脳症受傷直後の次女は

失語症となり言葉が極端に少なくなりました

 

 

 

話せないわけではないのです

 

 

 

けれど病院の先生や看護師さんが

「おはよう」と声をかけても

何も反応をしない

 

 

 

それでも発語自体は時間と共に増えていき

幼稚園の年中組に復園する頃には

普通に会話できるようになっていたので

これは「失語症の回復」

定期的なリハビリのおかげだと思います

 

 

 

 

それ以外の幼稚園時代の困りごとは

とにかく癇癪が激しく

衝動が抑えられないので

「ジュースが欲しい!」と言っては

外でもお構いなしに大声で泣き叫び

 

 

 

家の中では

ストレス発散とばかりにおもちゃを盛大に散らかし

紙があればあるだけ切り刻み

ある時は、自分の髪の毛までバッサリと切る始末ガーン

 

 

 

4、5才の子どもであれば他のお子さんでも

確かにあることかもしれませんが

「なんかおかしい」という感覚は常にありました

 

 

 

それでも救いはそんな姿を見せるのは

母親の私や家族の前だけで

幼稚園ではおとなしく

そんな素振りは滅多にみせなかったこと

 

 

 

幸い幼稚園時代は

優しい先生方やお友達のおかげで

工作活動や鍵盤ハーモニカが出来ずに困っていれば

誰かがサポートして助けてくれていたので

楽しく幼稚園生活を送ることが出来ました

 

 

 

そして小学校入学

 

 

 

次女は

特別支援学級に在籍することになったのですが

国語や算数などの勉強に関しては

他のお子さんと同じペースでは理解出来ませんでした

 

 

 

学習面に関する不安は

幼稚園時代から常に抱えていたものの

小学校に入って目の当たりにする現実

 

 

 

我が子が

他のお子さんと同じように出来ないこと

学生時代からずっと「みんなと同じように」

当たり前に生きてきた私にとって

やはりしんどいものでした

 

 

 

また小学校に上がってからぶち当たったのは

次女が朝起きることが出来ずに遅刻を繰り返し

私が付添登校せざるを得ないということ

 

 

 

ただしこのことに関しては

小学校の先生方にご理解いただき

私の方でも「しょうがない」と受け入れて

慣れていったのは我ながらエライ、エライ照れ

 

 

 

なお、この遅刻による付添登校

小学2年生の冬頃まで続いていたのに

今では全くなくなりました

 

 

 

理由のひとつとして

母親の私自身が

「この子はもうひとりでも学校に行ける」

と信じられるようになったこと

 

 

 

付添登校していた当初は

学校に行く途中に止まって動けなくなったり

学校から次女が学校に来ていないという

電話連絡を受けて慌てて次女を探しに行ったり

やはり不安要素が満載でしたガーン

 

 

 

でも、ある時思ったのです

 

 

 

「長女が小学1年生の時には

 家の外まで見送ることは

 すぐに止めてしまっていた

 それはなぜだろう?

 

 

 

 それは長女はもう大丈夫だと

 私が安心して

 長女のことを信頼していたから

 

 

 

 だとしたら

 私がいつまでも次女の事を心配して

 家の外まで見送ったり

 付添登校を続けることは

 私が次女を

 信頼していないということではないか?

 

 

 

 次女はもう

 ひとりでも学校に行けるのだから

 必要以上に心配するのは止めよう」

 

 

 

ですので2年生の冬のある時から

半強制的に次女を玄関まで見送ることに決め

家の外まで見送ることを止めました

 

 

 

そしてそれ以来

次女はひとりでしっかりと

学校に行けているのです

 

 

 

小学1年生の時は

どこの親御さんでも子どもの手を離すことに

躊躇を感じるものだから

私が彼女のことを過剰に心配したのも

まあ、しょうがないことかな?と今は思います

 

 

 

それが小学2年生の1年間で

次女の大きな成長、大きな飛躍を

私が実感したことが

彼女を信じる根拠となったのかも

 

 

いま現在小学3年生

8才になった次女は

「しっかりと指示の通る子」です

 

 

 

前まではテレビリモコンの操作という

単純なことを教えても出来なかったから

誰かが手助けしていたけれど

いつの間にか勝手に好きなビデオを選んで

観ることが出来るようになっていました

 

 

 

前までは本の音読をすると

「こ・ん・に・ち・は」のように

一語一語確認しながらしか読めなかった本を

いつの間にかスラスラと音読出来るようになり

そればかりか先日は

「天は人の上に人をつくらず」と

学問のすすめの暗唱までやってましたびっくり

 

 

 

私はずっと

高次脳機能障害の後遺症である

記憶障害を恐れていたのですが

確かにお勉強系の記憶は苦手のようですがニヤリ

大好きな歌(うる星やつらの歌)などは

しっかりと覚えることが出来ますラブラブ

 

 

 

というか

家族旅行の記憶など

楽しかった時の記憶は鮮明で

驚くことに彼女にとって入院時の記憶

楽しい記憶のひとつとして刻み込まれているようなのです

それはきっと母親の私と一緒にずっといられたから

 

 

 

 

4才で高次脳機能障害となり

現在8才になった次女を見て思うのは

 

 

 

健常児のお子さんが

0から出発して1を学ぶのに対して

高次脳機能障害のある次女は

マイナス1から出発して1を学ぶ感じ

 

 

 

出来ないわけではなく

出来るようになるまでに

他のお子さんよりも

多くの時間を必要とするだけ

 

 

 

 

私が以前知り合った

ご自身が子どもの頃の病気が原因で

高次脳機能障害となった当事者の女性が

バカになったわけではない

 周りが(自分を)バカみたいに扱うから

 自分でもそうなのかな?って思ったけれど

 他の人と同じペース

 他の人と同じやり方で出来ないだけで

 出来ないわけではないんです

と言った言葉が私の中で印象的でした

 

 

 

高次脳機能障害となった次女の世界は

英語も話せない人が突然

英語しか通じない国に

放り出されたようなものではないかな?と思います

 

 

 

英語が理解出来なければ

指示が通らないのは当たり前

 

 

 

けれど少しずつ英語が分かって

英語の意味を理解出来れば

しっかりとコミュニケーションを取れるのです

 

 

 

ですから皆さん

もし高次脳機能障害のお子さんと接する機会があったら

その子のペースでゆっくりと進んでいるのだと

温かい目で見守って下さい

 

 

 

高次脳機能障害となった子ども達は

みんな病気や事故などの理不尽な出来事がきっかけで

死と隣り合わせの体験を乗り越えて元気になり

いま他のお子さん達と同じように

毎日、未来へ向かって歩んでいるのですから

 

 

そして

中途障害を告げられて不安でしょうがなかった

あの頃の私に…

あの頃の私と同じような思いを抱えている方に

伝えられるならば

こんな言葉を伝えたいです

 

 

 

「子どもが他の子と同じようには

 出来ないという現実をまず

 受け止めてあげましょう

 

 

 

 その上で

 いつまでも出来ないわけではない

 ということを

 不安になるたびに思い出しましょう

 

 

 

 だって子どもは確実に成長して

 前まで出来なかったことを

 学校や先生やお友達のサポートのおかげで

 出来るようになっていくのですから」

 

 

 

ということで

インフルエンザ脳症による

高次脳機能障害児の母親から見た

子どもの変化を書いてみました

 

 

 

高次脳機能障害と言っても

症状はおひとりおひとり異なりますから

私の話は1人の高次脳機能障害児の

体験の一つではありますが

 

 

 

「こんな情報を知りたかった」

という方の目に届くことを信じてキラキラ

 

 

 


私のブログに繋がり

読んで頂きありがとうございましたピンクハート

あなたの心に私のパワーが届いてくれたら

とても嬉しいです

 

 

 

皆様

本日もご機嫌な一日でありますように!

川居 永佳(かわい えいか)」でしたニコニコ