冬の噺をご紹介するならば、特に年の瀬ですから、貧乏長屋の住人と借金取りとの攻防を描いた『掛取万歳(かけとりまんざい)』にしようと決めておりました。
しかし、いざ文章で読んでみると全く伝わりません(笑)。プロの書いた文章でこれなのですから、私なんぞの駄文では、とてもとても‥‥‥。
そんな訳で、寒い冬に心暖まる‥‥‥程ではないお噺を―
よく、火事と喧嘩は江戸の華と申します。
喧嘩はともかく、からっ風の吹く冬は、火事も多かったようです。
神田三河町に伊勢屋という質屋がございました。ある時、町内で火事がありまして、秩父からの吹き下ろしに乗って火の粉がじゃんじゃん降って参ります。
「ちょっと番頭さん、片付けはいいから、ちょいと蔵の目塗りをしておくれ」
質屋でございますから、蔵に入っておりますのは、預かり物(質草)でございます。こういう時に、蔵に目塗りをしていないなんて、店の評判関わって参ります。
「こんな時に、左官さんが来てくれないんだから、しょうがないねぇ。梯子を掛けるから、番頭さんは上へ登っとくれ」
主の伊勢屋が下でもって泥をこね、番頭さんへ投げ上げます。ところが、足場が悪い上、この番頭さんは高所恐怖症でございまして。たいそう難儀をしておりました。
そこへ、火消しの若者が、町内の屋根から屋根をつたってやって参りました。
体中彫り物だらけのこの若者、実は勘当された伊勢屋の息子でございます。驚く番頭に、
『火はあらかた消えたから心配はいらねぇが、(商売柄)目塗りはしといた方がいいだろう』
と申しまして、まことに手際良く番頭の前掛けの紐でもって、命綱をこさえます。
この時代の勘当というのは、親類、五人組、町役人の連署の上、名主が奉行所へ勘当伺いを提出し、人別帳(戸籍)から取り除かれるという厳格なものでした。
すっかり事がおさまりまして、伊勢屋の元へ、方々から火事見舞いがやって来ます。
「どうも、菊屋でございます」
「松屋でございます」
「和泉屋でございます」
次と見舞いにやってくる客を相手するうちに、先程、蔵の上で番頭を助けてくれた恩人の事を思い出します。
「番頭さん、さっきの火消しの若い衆にもお礼をしなければなりません。所番地を聞いておいでかい?」
気を利かした番頭は、若者を引き留めておりました。さらに聞けば、あれが息子の徳三郎だと言うんだから驚きです。
「そりゃぁ、駄目だよ、番頭さん。勘当した息子にへらへら会っていたんじゃ世間様に申し訳が立たない」
『ですが旦那様、“あかの他人”が火事見舞に来られましても、一言お礼を申し上げるのが人の道でございます』
「‥‥‥そうだねぇ、番頭さん、よく言ってくれました。そういうことなら会いましょう」
番頭さん、グッジョブ
親子三人、久々の対面、ここからの夫婦のやり取りが、私はとても好きです。
『へぇ、どうもご無沙汰をいたしまして、うかがえた義理じゃございませんが、通りかかりましたところ番頭さんが難儀をしておりましたもので、つい‥‥‥』
「‥‥火消しの人足になったらしいとは聞いてはいたが‥‥お前は、本来ならこの伊勢屋の若旦那だぞ、それを人様の屋根の上を渡り歩いて‥‥それと知られちゃ、こっちはいい笑いものだよ、まったく。だいたい‥‥‥危ないじゃないか‥‥‥」
『まことに面目ございません‥‥おかわりなくて安心したしました」
『よく来てくれましたね、お前の事は忘れたことはありません。火事の好きな子でしたから、どうか近所で火事がありますようにと朝晩ご先祖様に手を合わせていたくらいです』
「これ、やめなさい、人聞きの悪い‥‥‥とにかく、お礼は申し上げますので、どうかお引き取り願います」
『はい、ここらでお暇いたします、どうかお健やかにお過ごしくださいませ』
『待ってくださいな、この人に何か‥‥着物でも差し上げたいわ』
「そんなモノ、そこらへ捨てておけば勝手に拾っていくだろうよ」
『それなら、結城(紬)があったわね、博多(←帯かな?)もいるわ‥‥なんならもう、箪笥ごと捨ててしまいましょう』
「何を言ってるんだ―」
『それから、お小遣いも捨てなくては、千両くらいでどうかしら―』
「おいおい、そんなにいっぺんに捨てるヤツがあるか‥‥‥ちょくちょく捨ててやりなさい(小声)」
『そう言えば昔、あなたの代わりにこの子が年始廻りをしたことがありましたわ。紋付きに仙台平の袴をはかせて‥‥‥私、この子にあの時の身なりをさせて、お供の一人も付けてあげたいわ』
「勘当した倅に、そんな格好をさせてどうするんだい」
『だって、火事のおかげで会えたんですもの―
火元にお礼にやらなくてはいけませんわ』
(『火事息子』 「落語百選 冬」 麻生芳伸 編 ちくま文庫)
「火事と喧嘩は江戸の華」
字面だけみれば、物騒な話です。
現代では、ちょっと前まで香港とかパリがそんな感じでしたけど‥‥‥。
(本当に怒られそうなので自主規制)
この年の瀬は、諸々気を付けなければいけませんが、皆様―
火の用心もお忘れなく。