タイトルから興味を引かれる自分自身へのバラード!?
【1990年リリース】
德永英明さんの透き通るような声とメロディーが素敵な歌です。
当時のミュージックビデオに聴き入ってしまいました。
【歌詞の宇宙】
『壊れかけのRadio』 歌:德永英明
作詞:德永英明
作曲:德永英明
なんといってもこの歌詞、「ラジオ」ではなく「レディオ」と歌ったところが聴き手の耳に注意を引きました。
歌ネット
https://www.uta-net.com/song/1981/
今でこそ違和感はないかもしれませんが、当時は「レディオって何?」って、耳に引っ掛かった。もちろん中学校で習っている発音なので、すぐに「ああラジオか」と理解することになります。
今聴いても、心に響く歌とメロディーですが、このサビの部分の引っ掛かりがあったからこそ、当時、より多くの人の耳に届いたのではないかという気がします。
この歌詞の面白いところは、「Radio」を過去の自分と重ね合わせていながら、時の流れを祭りの人並みに例えている点です。「Radio」と並行して「祭り」の情景が行ったり来たりするのです。
歌はまず
「何も聞こえない 何も聞かせてくれない」
と「壊れかかけのRadio」の現状から始まります。
その後、祭りの情景へと移っていく。
「飾られた行きばのない 押し寄せる人波に」
は、主人公は今まさに祭りの人波の中に流されているように聴こえます。
「思春期に少年から 大人に変わる
道を探していた けがれもないままに」
「思春期」という言葉は、直接的であまり歌詞では使われないのではないかと思いますが、大人になってしまった自分と対比する言葉として「けがれもないままに」もとても効いています。
対して、2番は
「いつも聞こえてた いつも聞かせてくれた」
と、かつて新しかった時の「Radio」の想い出を語ります。
祭りの場面では、
「華やいだ祭りの後 静まる街を背に
星を眺めていた けがれもないままに
遠ざかる故郷の空 帰れない人波に…」
祭りの喧騒がスローモーションのように音もなく、否応なく自分を巻き込んで通りすぎていく。
遠ざかる過去の自分。そして未だに迷ったままの自分。
「壊れかけのRadio」は、自身の「遠ざかる夢」と重なります。
夢をあきらめ、時に流されていく自分が、その原点となったものに問いかける。
「本当の幸せおしえてよ 壊れかけのRadio」
・・・さあ、「幸せ」って何なんでしょうかねぇ…。
約30年前の 『壊れかけのラジカセ』