今では見られなくなった(?)3つの光景。

 

 德永英明さんの『レイニーブルー」は、すでに今ではほとんど見ることのない情景を描写していた。

 

・真夜中の街にひっそりと立つ電話ボックスとその中の主人公。

・電話のダイアル。

・しっとしとした青い雨・・・。

 

 しっとりした雨の日もないことはない。けれど、季節を問わず豪雨災害が絶えない現在では、連想する雨の景色にもなかなか感傷的になれない時代なのではないだろうか。

 

 

 以前、家の設置電話からでは会話が(デートの約束なんかも)家じゅう丸聞こえだったという話をした。

 

 そこで今日は、あの頃の電話機のダイアルを回す感触について話をしてみたいと思う。

 

2001年 サードストリート・プロムナードに設置してあったテレフォンブース

サンタモニカ  カリフォルニア USA

 

 今あらためて思い出すのは、

・ダイアルに指をかけた時の指先の感覚。

・ダイアルを回すときの微妙な重さ。

・回したダイアルが返る時の「間(ま)」・・・。

である。

 

 そういえば、「1」を回す時と「9」を回す時ではその時間も9倍近く違っていたということに気付く。返る時間もそれだけかかっていた。

 

 「9」を回した後の「間」の長さはなんともいえないものがあった。

 

 

 もともと、救急車を呼ぶ時の電話番号は、「999」が候補に挙がっていたらしい。

 

 しかし、緊急の通信だけに、この「9」が戻る時間が長いことを考慮して、「999」ではなく「119」になったという話を聞いたことがある。

 

 今のタッチパネルの操作からは想像することのない配慮である。

 

 

 家の電話と公衆電話ではそのダイアルの重さも違っていた。

 

 家の方は電話機の軽さと同様、全体的に軽快だった。

 

 一方、公衆電話は、電話そのものもデカく、受話器も重かった。ダイアルも結構重くて回しごたえがあった。また、返り方も遅く、重厚な返り方だった。

 

 

 さて、家からでは女の子に電話をかけることもままならなかったから、おかしな時間に外へ出て行って街の公衆電話から電話をかけた。

 

 相手側の受話器を取るのはまず親であることを覚悟しつつ、挨拶をして本人に取り次いでもらう。なんといっても、遠くから早く連絡する手段はそれしかなかったのだから。

 

 LINEで気軽に連絡できてしまう今と比べたらなんとハードルの高いことか・・・(笑)。

 

 通話中は相手の電話を占有することになるので長電話にも気を遣う。

 

 何より、テレフォンカードの数字がどんどん減っていく・・・。予備のカードを持っていなければ、通話が勝手に切れてしまうからどうしても電話料金が気になってしまう。コインしか使えない場合は手持ちのお金を数えながら1枚1枚入れていかなくてはならない。

 

 ダイアルを回す「重さ」、それが戻る「間」、そしてコールが鳴っている時のドキドキする「間」・・・。今でも頭と指先が、あの公衆電話の受話器の重さや指にかかる重さを鮮明に覚えている。

 

 今ではそんな「重さ」や、「間」さえとても懐かしい。

 

 触れるか触れないかのところで認識されるタッチパネル。

 メッセージを送った後、即座に「既読」が確認できてしまう手軽さ。

 

 若い人たちのスマホで文字を打つ速さを見れば、なおさら現代のせわしさを感じずにはいられない。

 

 そして、今の音楽のリズムや歌詞の言葉の多さも、おじさんたちにとっては豪雨みたいでもある。