「ウィルスに罹ってパパが死んじゃった…」と歌った54年前の歌をあらためて紹介します。

 

『Ode To Billie Joe(ビリー・ジョーに捧ぐ)』 歌:Bobbie Gentry

作詞作曲:Bobbie Gentry

 

 

 

【1967年リリース】

 日本語によるカバー曲がないため、僕なりに歌として訳し、物語の解釈を試みてみました。

英語力の至らない部分はどうかお許し下さいませ。

 

【歌詞】

 

うたまっぷ

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『ビリー・ジョーに捧ぐ』

作詞作曲:ボビー・ジェントリー

訳詞:鈴木すばる

 

気だるく眠い6月3日 ミシシッピーのほとり

わたを摘んでわらを集める 兄さんと私

仕事を終えてもう帰る時間 さあ夕食よ

裏口ママの怒鳴り声 “ちゃんと足を洗うのよ!!”

ママは今朝こんな話を聞いたんだって チョクトウ・リッジで

今日ビリー・ジョー・マクアリスターが身を投げたって タラハッチー・ブリッジで

 

 

豆をお皿に振り分けながら パパがママに言った

“ビリー・ジョーはろくでもないよな そのビスケットおくれ”

“川下の方20ヘクタール まだ耕さないとな”って

ママといえば“ほんとお気の毒にね”って吐き捨てるみたいに…

まるで良いことなんて1つもないみたいね? チョクトウ・リッジって

それでビリー・ジョーも身を投げたっていうの? タラハッチー・ブリッジで

 

 

“思い出した!”って兄さんが言うのは 映画館でのこと

彼とトムとビリーが 私の背中にカエルを這わせたこと

それ日曜夜 教会の帰り 私が言ったことじゃない?

“もう1つもらうよアップルパイ けれど噓みたいだな

だって昨日 製粉工場で見かけたんだぜ チョクトウ・リッジで

そのビリー・ジョーがまさか身を投げただなんて タラハッチー・ブリッジで”

 

 

“食欲ないの?”ってママが聞く “昼までかかって

料理したのに あなた一口も手をつけないなんて”

“今日あの若いテイラー牧師がいらっしゃったの

日曜のディナーを楽しみにしていますって あ、ところでね…”

“あなたにそっくりな女の子を見たんだって チョクトウ・リッジで”

“その娘とビリー・ジョーが何かを投げてたんだって タラハッチー・ブリッジで”

 

 

ビリーの死から1年が過ぎ 兄さんはベッキー・トムプソンて娘と

結婚して店を出したの トゥペロの街で

今年の春にウィルスが流行って突然パパが死んじゃって

それからママはふさぎこんでなんにもしなくなっちゃって…

それで私はね 今よく花を摘んでいるのよ チョクトウ・リッジで

そして濁った川面にその花を投げるの タラハッチー・ブリッジで

 

 

【歌詞の宇宙】

 一言でいうと、とてもミステリアスな歌詞です。そのため様々な解釈がされていて、その解釈の一つから映画化もされているそうです。

 

【物語】

 主人公の少女と兄(弟?)は、農作業の手伝いから家に帰ると、ママから「足を洗うのよ!」と怒鳴られるくらい、まだあどけなさの残る年齢に思えます。

 

 そんな二人は、ママから今日ビリー・ジョーがタラハッチー・ブリッジで身を投げたというニュースを聞かされます。しかし、パパは彼を「ろくでもないヤツだ」とただの一言で片づけしまい、ママも町に厄介ごとが起きたかのように冷めきった態度です。

 

 だけど、少女は、兄(弟)とトムとビリーの4人で遊ぶ仲でもあったし、実は二人きりで遊んだりする間柄でもあった。そのビリーが突然自殺したことを聞いて大きなショックを受けるのですが、食卓で彼女はそんな素振りを一切見せられなくなってしまうのです。

 

 Brotherが兄なのか弟なのか定かではありません。カエルを使って少女にいたずらをする無邪気さからは弟とも受け取れます。彼は前日見かけたばかりのビリーの死を、まだ受け入れられない様子です。

 

 ちなみに、もう一人の友人トムは、実は男友達ではなく、1年後に結婚することになるベッキー・トムプソンという娘のことだとわかります。少女より先に結婚してしまったということは兄である可能性が高いような気がします。

 

 ところで、トムが実は女性だったということから、一緒に映画を見ていた4人組は、少女と男3人ではなく、2組のカップルで遊んでいたことになります。このような心憎い仕掛けも含めて、物語はさらに憶測が深まっていくのです。

 

 もしも、少女が年頃のお姉さんだったとしたら、ビリーとの関係もすでに子供同士の関係ではなかったかもしれない。などと考えると、ビリーの自殺は、二人の秘め事にも大いに関係するのかもしれません。

 

 片田舎の厳格な家庭、狭い町のうわさ話。ビリーが命を絶った理由は、彼女にも心当たりがある。そうなれば、両親は無関心ではいられないどころか、両家族を巻き込んだ町の大問題に発展する可能性も秘めている。

 

 このように考えると、少女はショックを隠して、二人の秘密を守り通さなければならないと覚悟したのかもしれません。

 

 とはいえ、彼女は夕食を食べられなくなるほどショックを隠し切れないでいます。けれどママにはそれがわかりません。

 

 そんな中、ふとママがテイラー牧師との会話を思い出します。ビリーと少女によく似た娘が、タラハッチー・ブリッジから何かを投げていたことが話題となるのです。

 

 少女とビリーの関係があったことを裏付ける証言。二人は何をしていたのか?

 まさにサスペンスドラマのような展開です。

 

 

タラハッチー・ブリッジ ならぬ セブン・マイル・ブリッジ  フロリダ州 アメリカ

 

 ここから時は1年後に移ります。

 

 さて、ビリーの死になんの関心もなかったパパでしたが、今度はそのパパが、春に流行したウィルスによってあっという間に亡くなってしまいました。あれだけがんばって農地を耕してきた努力はなんだったのか…、ここでさらに命のはかなさが胸に響きます。

 

 ウィルス感染によって命を落とす。これまではいまひとつピンと来なかったこの状況が、コロナ禍の今ではとてもリアルに感じられるようなったことをあらためて実感します。

 

 兄は結婚して家を出ていき、パパが亡くなって、家庭は一変してしまいました。ママのショックは相当なもので、それまで家族のために半日がかりで夕食の準備をしていたような人が、まるで生きがいを失ってしまったかのように何もしなくなってしまったのです。

 

 隣町や他人のことなどに関心はないのに、家族のこと、特に牧師を招くなど大掛かりな料理にはかなりこだわっていた。また、パパへの愛情は強かったけれども、残った娘に対してはまるで関心がないかのようです。あの日の夕食の時も、彼女の体調よりも料理の方が大事だったみたいに。

 

 あからさまにショックから立ち直れないママとは反対に、少女は、ずっとショックをひた隠しにしたまま、また誰にもビリーのことを話せぬまま、独りチョクトウ・リッジで花を摘む時間が増えていきます。

 

 少女とビリーがどんな関係だったのか、タラハッチー・ブリッジから何を投げていたのかは他の誰にもわかりません。

 

 たとえ幼い友達関係だったとしても、彼が突然命を絶ったことへの疑問や悲しみははかりしれません。愛していたのならなおさら。許されざる愛だとしたら愛はさらに深まっていたのかもしれません。

 

 何れにしてもこの1年、彼の死に誰も関心がないことへの憤りや怒り、また心の整理も併せて、彼女は精神的に大変な日々を送っていたはずなのです。

 

 にもかかわらず、彼女の感情は詞のどこにも表わされていません。

 

 その代わりに少女は、全ての想いを独り積んだ花に託して、その濁った川へ放り投げるのです。

 

 おそらく彼女の唯一人の理解者だったであろうビリー・ジョー・マクアリスターに向けて。

 あのタラハッチー・ブリッジから。

 

 

              タラハッチー・ブリッジ ならぬ 角島大橋   山口県