あらゆるものがデジタルになって久しい。

思い描いていた以上の未来になっただろう。スマートフォンの時点で学生時代からは想像もできない。

未来は、現在は、今もあるのに、今を生きていない気がする。

それが大人になったという感覚なのか。


CDなんかはもう一切買っていない。いや自分らしくないジャズはたまに買う。

でも聴くのはアニソンばかり。

それも昔の、20年前のものばかり。


あの頃は自我なんてなかった。

ただのオタクであり、アニメキャラクターに恋をして、バイト代はトレカにつぎ込んだ。
自分がセックスをする想像もなかった。
髪をセットする、服を買う、女を口説くなんて。

もうアニメは全く見ていないし、見たいと思わない。

アプリもほとんどやっていない。

アイドルを応援したいとも思わない。


自分が就職して、これからも今の仕事を続けたいと思うなんて。


アニソンを聴いていると、思い出が甦ってくる。

中学時代、高校時代、フリーター時代、上京当時。

そのどれもが愛おしい。


ただそれらが全部バカらしく思っていた頃もあった。

見た目ばかり気にしてナンパして、成功するから余計オタクから離れていった。


それも今や昔。
またあの頃に戻りたいと思って、ゲーセンに行ったって誰もいない。
とらのあなに行っても知っている同人誌はない。

ずっとこのままなんてないのだ。

それは昔も、今もだろう。

もしかしたら結婚して子供を授かるかもしれない。

でも、戻りたいと懐かしいと思い出すのは、ただのオタクだった頃だ。


一人でも楽しい。皆といても楽しい。

オタクだったから。

それが現実逃避だったのかもしれないが、毎日楽しかった。



まさか仕事が楽しいと思う時が来るなんて。
こんなものいらないと手に取ったものを買わない時が来るなんて。


オタクでなくなったことがこんなに寂しいなんて。
先週、今週と若手と揉めたって話。




ほんでめちゃくちゃフォローというか敵を作ることになった。

自分も若い頃出来ていなかったことを年齢を重ねて同じように若手にやってると思うと情けないやら反省するやら。



前提には自分がされたくないことはしないって性格なんやが、そもそも他人とズレてるので前提が成り立たない。

その中で、遠回しに伝えられることを恥じ、ストレートに言われることを良しとすることを他人にもやる。
そりゃ自分がストレートに言われたいからね。
喧嘩したって全部自分が正しいとは思わないし、引きずるにせよ自己解決できるからストレートであればあるほど良い。感想は純度100%であれば良いと思うのよ本当に。

でもダイレクトアタックを苦手とする人種の方が圧倒的に多いし、年齢とか性別を盾に自分の言いたいこと言うって人間も多い。
誰に対しても同じとは、それが正解でない時もあるのだとまざまざと重い知らされたよね。



本当、褒められることより貶された方が身になる自分としては他者もそうであってほしいという希望的観測がズレていたと。
誰だって褒められた方が嬉しいと。

そうなのか。

自分だけが生きているわけではないし十人十色なのはわかっていたつもりだけど。社会はそんな優しくないと思っていたよ。それとも優しさに気付かなかっただけなのか。



まぁつまり、俺の言葉にはトゲがあると。ありすぎると。


そんなのはしょっちゅう言われている。


根底にあるのよ。
本当の優しさとは、嫌われてでも相手のことを考えて行うことだ、、、と。

キズの舐め合いは不要だと思っているので、形だけの優しさは俺にはない。



Twitter上でも、ネガティブなことを言うなと忠告を受けることがある。
マイナスな言葉で人を不愉快にするなと。

それはつまり、私はお前の言葉で傷つくから本音を言うなということ?


悪いと思ったから悪いと言う。
そりゃどうすればいいのか実践して見せればいいけど、立場も職種も年齢も性別も、それが出来ないことだってある。

じゃあ何も言うな?


例えば整形。

最近は整形に対してポジティブな広告が増えた。
こんなステキなことなぜやらないの?やって後悔はないよ!と。

なら整形が正義なのか?そこにネガティブなものはないのか?
プラスになることだけを伝えて、マイナスなことは言わない。
契約ごととか、食事だってそうだ。
とあるカレー屋の店内には、豚肉にどんな栄養があり、この野菜は脂肪燃焼効果があり…ならそれだけ食べてもいいの?カレーに足りないものはないの?

いちゃもんかもしれないが、俺はそう感じる。

得なことしか伝えない、それは詐欺師のやり方ではないのか?
こういうダメなところもありますが、こういう良いところもありますと伝えることが正直ではないのか。


それが伝え方、テクニックだと言う。

誤魔化しているだけではないのか。


ポジティブな意見は全てポジティブなのか?
その中には「ポジティブなことを発言する自分」でいっぱいになっていないか?
巡り巡って自分の利になる選択がポジティブな発言に結びついていないか?

やはり俺はネガティブなものの中に救いを求める人間だ。

全員が同じ方向を向いていれば、後ろで何があっても気付くことはない。

ひねくれもの、鼻つまみものでいいのだと改めて思う。


俺に対するネガティブな感情が、俺以外のものをポジティブにするなら。

そう、それが俺の思う優しさだ。



俺は誰も嫌いにならないが、誰かは俺を嫌いであればいい。
自分のこともわからないのに、他人のことがわかるはずもない


常日頃から俺は言う。

フツーは、マトモな人なら、常識だ、、、

多分、ほとんどの人が口にする。

まさか自分は普通でマトモではないなんて、誰だって思ってない。自嘲することはあっても、自分が正しいと皆本気で思ってる。

だから他人と衝突した時に譲れない。
面倒だから譲る、のは譲るとは言わない。引いただけだ。

引いてどうなる?
相手を良い気持ちにして、自分は引いたことに満足して、それだけ?


俺は衝突が好きだ。
なんなら、衝突しなくてもいいのに自分から揉めようとする。

大の大人が揉めるとなるとエネルギーが尋常じゃない。
お互い疲れる。

疲れるのは、本気だから、本音だからだ。

顔色を窺ったり、空気を読んだり、それで場が回ったとして、それも大人の立ち回りだと思う。

いつもニコニコして穏やかな人間は、その面しかないと思ってはいないか?

その仮面を、いや仮面かどうかはわからないが、剥がしてみたいと思わないのか。

今の世の中、本音を口にする人間は少ない。
本音とは主張だ。そして主張とはワガママだ。通る時もあれば反発される時もある。

そのエネルギーを消費したくないと、揉めることで失うものがイヤだと避けて生きる。


人間誰だって裏表はあるし、無いと不自然だ。

だけど人は言う。
裏表のない人間は素敵だ、と。

裏、とはいわば悪の面だ。
ないと思いたいが、自分にもあるように他人にもあるに違いないと思うからこそ、裏表があると必然のように語られる。

裏も表も悪い面ではないと思っていないか?



俺も、裏表は無いほうがいいと思う。

裏が悪で、嘘なら、そりゃないに越したことはない。

なら自分から無くせばいい。


思っていることを口にする。


ストレートに、遠慮なく。


傷つけられたと人は言う。


俺も傷つけたと思う。



俺は、傷口から生まれた。

一人はイヤだと、寂しいと思っていた。

妬み嫉みがを恥じ、無知を恥じ、遠慮や差別を恥ずかしいと思った。
恥は誰も教えてくれなかった。顔が紅潮し、舌が回らなくなって、恥に気付いた。

弱いから傷つく。
弱いから他人に支えてもらう。
弱いから吠えて誰もいなくなった。

俺は一人で生きていけるほど強くなった。

ずっと孤独だと思い、孤独は社会に馴染めないはぐれ者だと、それは恥ずかしいものだと思っていた。



裏も表もないんだ。
どちらも裏で、表だ。

俺はこれからも揉めるし、言葉を濁さない。

変わり者でいい。嫌われていい。
嫌われる勇気、ではない。

嫌われて見える景色は誰も知らない。

美しいものは醜いものがなければ存在しない。


美しさの対にある醜さがなければ、美しさの判断は出来ないものだ。

醜い中で懸命に生きようと、無駄にもがく姿こそ美しいと、誰も気付かなかった。


明日も俺はカラスでいい。