自分のこともわからないのに、他人のことがわかるはずもない


常日頃から俺は言う。

フツーは、マトモな人なら、常識だ、、、

多分、ほとんどの人が口にする。

まさか自分は普通でマトモではないなんて、誰だって思ってない。自嘲することはあっても、自分が正しいと皆本気で思ってる。

だから他人と衝突した時に譲れない。
面倒だから譲る、のは譲るとは言わない。引いただけだ。

引いてどうなる?
相手を良い気持ちにして、自分は引いたことに満足して、それだけ?


俺は衝突が好きだ。
なんなら、衝突しなくてもいいのに自分から揉めようとする。

大の大人が揉めるとなるとエネルギーが尋常じゃない。
お互い疲れる。

疲れるのは、本気だから、本音だからだ。

顔色を窺ったり、空気を読んだり、それで場が回ったとして、それも大人の立ち回りだと思う。

いつもニコニコして穏やかな人間は、その面しかないと思ってはいないか?

その仮面を、いや仮面かどうかはわからないが、剥がしてみたいと思わないのか。

今の世の中、本音を口にする人間は少ない。
本音とは主張だ。そして主張とはワガママだ。通る時もあれば反発される時もある。

そのエネルギーを消費したくないと、揉めることで失うものがイヤだと避けて生きる。


人間誰だって裏表はあるし、無いと不自然だ。

だけど人は言う。
裏表のない人間は素敵だ、と。

裏、とはいわば悪の面だ。
ないと思いたいが、自分にもあるように他人にもあるに違いないと思うからこそ、裏表があると必然のように語られる。

裏も表も悪い面ではないと思っていないか?



俺も、裏表は無いほうがいいと思う。

裏が悪で、嘘なら、そりゃないに越したことはない。

なら自分から無くせばいい。


思っていることを口にする。


ストレートに、遠慮なく。


傷つけられたと人は言う。


俺も傷つけたと思う。



俺は、傷口から生まれた。

一人はイヤだと、寂しいと思っていた。

妬み嫉みがを恥じ、無知を恥じ、遠慮や差別を恥ずかしいと思った。
恥は誰も教えてくれなかった。顔が紅潮し、舌が回らなくなって、恥に気付いた。

弱いから傷つく。
弱いから他人に支えてもらう。
弱いから吠えて誰もいなくなった。

俺は一人で生きていけるほど強くなった。

ずっと孤独だと思い、孤独は社会に馴染めないはぐれ者だと、それは恥ずかしいものだと思っていた。



裏も表もないんだ。
どちらも裏で、表だ。

俺はこれからも揉めるし、言葉を濁さない。

変わり者でいい。嫌われていい。
嫌われる勇気、ではない。

嫌われて見える景色は誰も知らない。

美しいものは醜いものがなければ存在しない。


美しさの対にある醜さがなければ、美しさの判断は出来ないものだ。

醜い中で懸命に生きようと、無駄にもがく姿こそ美しいと、誰も気付かなかった。


明日も俺はカラスでいい。
もう二回くらい書いた気がするけど、まぁアレです。


何度も何度も繰り返し悩んでは答えを保留にし、最近もまた生き方をこじらせることになったわけです。

ネットだって職場のコミュニティだって、その気になれば全部ナシにできるけれど、中々捨てることは出来ない。
スマホいじりゃ他人の感情なんて山ほど目に入ってくる。


今はモメるのもナンパするのも有名になるのも簡単。

皆が皆、自分が自分がって主張する。



まぁ前置きはいいや



つまり、いつものブレです。

どう生きるかを未だに決められないでいるのです。

もう選択できないことが多いし、これ以上良くなることはないだろう。

そういう他人と比べての幸せではなく、善悪のバランスというか。

普段から悪ぶって、他人を遠ざけて、後ろ指さされているのに気がつくと中指立てて返すような、そんな天の邪鬼な自分の、その悪ぶったものがブレるわけです。

人から良く思われたい、好かれたいと思うと現実の自分に後悔したり。



そのたびに考え直すんですよ

自分が成人してから、何を糧に生きてきたかを。

まっ宝塚ですよね


そう、大空祐飛です。

そう、華やかなりし日々です。


あらすじは割愛するとして、あのラストシーン。

あんなふうに生きたいと。

悲しみを笑って誤魔化せる生き方をしたいと。


あんな男になりたいと思うわけです。



決して良いやつではない、本音も見せない。


コイン一枚を拠り所にする弱さを、誰にも見せない。



よし、明日からまた頑張りましょう~
今年も夏コミ。初日帰りの電車の中で書いてます。


もうすっかり周りはコミケ卒業して、大体はソロ参加のまま齢を重ねております。

レイヤーの知り合いはまだまだいるんだけどね、若い女の子だからそんなに同人誌とか買ったりしないのよ。
男オタクはさぁ、コミケ行かなくなると途端に「コミケ行かないことの正当性」を主張するようになる。

暑い寒い、金がない、同人誌は高い、サークルチェックが面倒だ、、、
しない、のは「正しいから」だと。


暑いし寒いのはイヤだ。
→春秋に開催しても行かないくせに。

同人誌は高い。
→100均だって高いと感じる人もいるだろう。要は価値観。

サークルチェックが面倒。
カタログ代もノートパソコンも用意してやる、と言っても本人が調べる気がないなら調べない。


コミケほど二次元に対する「好き」が集まる場所はない。
そこにいけばなんだってある。その好きを否定するってことは自分の趣味を否定することだ。
そういうやつは公式にだって金を落とさない。

まぁ今さらポスターだトレカだの欲しくないのは俺も同じです。


それでもコミケに行かないことはない。

往々にして、オタク趣味は孤独だ。昔よりはマシとはいえ、オタクに対する偏見は強い。

その偏見はなくならないし、偏見が間違ってもいない。

オタクであると自覚した瞬間に、一生ついてまわるレッテルだ。

それに耐えられるだけ強くなるってことは、頑固になるってことだ。

コミケに行けば仲間がいる。
誰とも会話しなくても、そこに漂うウェルカムオーラが俺を肯定させてくれる。

そして楽しもうと思ったら、自ずと思い出になるものだ。

俺は思い出ナシでは生きられない弱い人間だから。