ペンギン・ハイウェイ | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

アマゾンプライムにおススメされて、

ペンギン・ハイウェイというアニメ映画を見た。

控えめに言って、最高だった。

 

僕らは、いつのまに、「大人」なんてものに、

なってしまったのだろうねえ・・・

しばらく余韻に浸ってしまうし、原作も買ってしまうだろうな。

 

せっかくなので、少し、物語について書いてみる。

この物語は、「純朴な少年が、大人の女性との出会いを通じて

(少しだけ)大人になる」

という大変ポピュラーな物語類型の上に編み上げられている。

 

この「(純朴な)少年 ×(大人の)お姉さん」というのが、人類は大好き。

た~くさん、この脚本で物語が作られている。

それは、人間にとって「必要」な知恵が入っているからだろうねえ。

 

どんな知恵かというと、例えば

・自我がハイヤーセルフとの出会いを経て、変容していく

ということ

 

物語の登場人物は、心の中に存在する人格=アーキタイプとして

読み解くと、色々見えてきて面白いのですよ!

 

少年とお姉さんの場合、

・純朴な少年=自我、マインド、顕在意識。

・大人のお姉さん=潜在意識、ハイヤーセルフ+インナーチャイルド

だいたい、この読み方でOK。

 

「お姉さん」というのは、すべてを許してくれる大地母神であり、
同時に、守らなくてはならない純粋さの象徴。
エゴ(男性性)は、女性性による「許し」による救済を欲し、

同時に、その「女性性」を、守る役割を持っているから、

この2つの側面を叶える存在として、描かれるわけ。

 

ちなみに、ジブリは「少女」が主人公のことが多いけれど、

少女というのは、内部に既に女性性=救済(許し)を持っているので、

他者からの救済が必要ない。

故に、ジブリの物語には「許してくれる女性」と
「救わ(れ)なくてはならない女性」が描かれないんだ。

 

さて、この「すべてを許してくれて、かつ、守ってあげなくてはならない女性」は、「手に入らない」ことになっている。

「救済されること(許してもらう)」と「救済すること(守ってあげる)」は、

エゴがエゴである限り、決して叶わないからね・・・

 

では、エゴを持って生きる僕らは、

ハイヤーセルフやインナーチャイルドの投影体
(許してくれる存在・守りたい存在)とどう出会い、

その関係性の中で何を学ぶのか、そしてその結末はどうなるのか?

 

・・・というのは、映画を見てみてくださいね。

 

ではでは