自分を縮減し、拡大するプロセス | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

まず、自分を縮小する。
それは自分と他人を分離していく作業。
自分は自分、相手は相手。
自分の見ている世界と、相手が見ている世界が違うということを知る。
互いに相手の期待に応えるために生きているのではないことを知る。
自分の思ったとおりに相手を変えること、世界を変えることの
不可能性を知る。
 
そして世界が青いのは、自分のサングラスが青いからだと知る。
鏡に映ったモノ(=世界)を変えるのではなく、
自分が微笑むことで、世界を変えることを学ぶ。
 
これを続けると、自分の内世界で、
自分が縮減していく。
自分と呼んでいたものが、なくなっていく。
自分の意見、自分の気持ち、自分の価値観、
なんてものが、自分のものではないことを知る。
それは、残響のようなもの。
それは、やまびこのようなもの。
音を立てたのは、自分ではない誰か。
それらを聴き取り、受け入れていく。
すると残響は、消えていく。
 
自分を律していた声、すべきこと、しなくてはいけないこと、
恥ずかしい自分、駄目な自分が消えていく。
こだわっていた生き方や、価値観、許せなかったものから、
自然と離れていく。
 
このあたりに来ると、自分というのが、
スクリーンであることがわかってくる。
 
自分という場に、何かが起こる。
感情が起こり、思考が起こり、出会いが起こり、別れが起こる。
それをただ体験している。
体験の媒体として自意識があることを体感的に知る。
 
ここから、自分が拡大していく。
 
自分の内側に生起する物事、自分の外側に生起する出来事、
その双方が、ただ、自分に起こることを理解したとき、
この世界の出来事全てに、自分は関与し、また、責任を持つことになる。
 
自分と相手が統合されていく。
誰かのため、という意識がなくなっていく。
ただ、与えられた機会があり、それを行う。
それだけのことになる。
 
期待する自我がないとき、
与えられたものは常に、適切で相応しく、完璧であることが理解される。
故に、いつも、その瞬間、最適なことをしているので、
イマココを至福に生きることになる。
 
あらゆる自分に降りかかる出来事を、
祝福とともに行うことになる。