先日、「モチベーションが上がらない!」という相談を受けたので
その時に思ったことをメモ。
モチベーション下がるのって、「自己犠牲的」になっている時だよね。
「自分が、やりたくないことを、させられている」という感覚。
・なんでこんなことを「させられている」のだろう?
この感覚を持ちながら、ワクワク何かに取り組むってなかなか難しい。
(少なくとも、僕はやだな)
裏を返せば「やりたいこと」をやっているのなら、そこに「犠牲」はないよね。
いかに忙しかろうと、無理をしていようと、ワクワクを生きているわけ。
ここまでは結構当たり前の話で、ここからが今日書きたいって思ったこと。
実は、「やりたいこと」と「やりたくないこと」って、
ちゃんと見極める必要があると思うんだ。
良い悪いじゃないくて、好き嫌いで生きよう!「やりたいこと」で生きていこう!
って話をよく聞くけれど、ここに落とし穴がある気がするわけ。
実は、「やりたくないこと」は、多くの場合で「怖いこと」に由来する。
それをやることで、起こってしまう何か。
それが、怖い。
だから、それを「やりたくない」って言い換える。
「自分の本当とずれている」「魂が嫌がっている」「ワクワクしない」
”素敵な言葉”で飾ったりする。
けれど、本当は、その先に起こり得る「何か」が怖いだけだったりする。
この潜在的な「恐れ」を見ないまま
「自分がやりたくないことを、やらない」・「やりたいことをやる」を続けると
ある地点にたどり着く。
それは
・やりたいことがない
と
・やっても、やらなくてもいいから、やらない
だ。
つまるところ、停滞。
「保身・防御・変化への恐れ」は停滞を生む。
モチベーションというテーマに戻して話をするのなら、
瞬間的な発火はあるけれど、
継続的に何かをやっていくような取り組みは、
必ず、どこかで頓挫してしまう。
これを、僕は、数年やったね!
けれど、人生ってやつは、そんな人を見捨てたりしない。
どれだけ「やりたくない」と突っぱねても、ノックをやめようとしないんだ。
そしてどうしたってドアを開けざるを得ない状況を作り出す。
だからね、
・なぜかうまくいかない
・やりたいことを、やっているのに、停滞している
そんな時は、ノックに耳をすませてみよう。
そのドアの向こうにあるモノを、眺めてみよう。
どうして、その呼び声を、聴かないことにしてる?
どうして、それを拒んでいる?
何が、起こるのが、怖い?
さて、いざそのドアを開けて進み出すと、必ず感情は叫ぶだろう!
「こんなこと、やりたくない!」
けれど、その深部で魂は叫んでいる。
「恐れるな!そこに答えがある!」
必ず、恐れたことは、起こる。
自由を失うのが恐ければ、きっと縛られるよん!めっちゃ縛られる!
あんなとこやこんなとこが、グイグイ縛られちゃうよん!
だけど、縛らせているのが、実は自分だって気がつく。
・いい顔しなくちゃ!優秀であらなきゃ!ルールに従わなくちゃ!
それを破ったら?
それを破ったら、何が起こる?何が起きるのが一番怖いの?
そんな時、何かを解決する必要はない。
だって「恐れ」があるだけだから、何かを変えるって話じゃないんだ。
むしろ、その恐れを徹底的に愛することだと思う。
私は、これを恐れている人間である!と高らかに宣言すること!
恐怖万歳。
僕は、怖いことが、たくさんある。
自由を失うのが何より怖い。
断ったり期待を裏切ったりするのが怖い。
怒られるのが怖い。
人前で何か話すのが怖い。
居場所がないのが怖い。
大切な人が、いなくなるのが怖い。
何かを「やらされる」立場になるのが怖い。
だから、僕は生きる。
葛藤の中にだけ、矛盾の中にだけ、扉がある。
それだけが、僕らを、自分という小さな物語から解き放ってくれる。
存分に恐れよう。
そして、その恐れの分だけ、世界に拓かれていこう。
Hello World.
世界は、いつだって、可能性に満ちている。