せっちゃんのこと | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

せっちゃんが逝ってしまった。
2016年1月21日、朝7時30分。
ベッドの周りに集まり、手を握り、せっちゃんの最後の呼吸をみんなで聞いた。

朝日の差し込む和室、
手のひらの柔らかさ、7人の息遣い、
薄桃色の寝間着、すすり泣く声

みんな、何か思い思いに言葉を述べていたけれど、
僕は何を話したのだろう。

あれからもう5日が経った。

今日も空は雲ひとつなく、
窓に臨む相模湾は群青に揺れている。
ベッドの上には、布団がたたまれ
片付けられた枕元に、見事な花が飾ってある。

必ずこの日が来ることを僕らは知っていて
最後の数日は、その日が今日かもしれないという思いを
胸に抱きながら過ごした。

せっちゃんの3人の娘たちは
試行錯誤しながら、献身的に尽くした。
見事なバランスとチームワークで、できるすべてのことをやった。
その姿は美しかった。

86年という歳月は、いかなるものだったか。
彼女はどんな風に世界を眺めていたのか。

彼女は、時に師であり、時に友であり、
希有なる理解者であった。

言葉のこと、絵画のこと、文学のこと、哲学のこと
愛について、身体について、生きる意味について
・・・僕らはきりなく語り合った。

僕らはいつも新鮮な今日を生き
互いが、旅の仲間なのだと知っていた。
きっと長いこと、そうしてきたのだと。

彼女の最期の数ヶ月を一緒に過ごせたことは
何にも代えがたい人生の贈り物だった。
導きに感謝をしたい。

ほどなくかかりつけの医師が到着し
速やかに生体反応を確認を行うと、臨終を告げた。
彼の振る舞いには、敬意と優しさがこもっていた。

僕らは感傷に浸る間もなく、
お別れの会の準備を始めた。

美術館の絵を架け替え、葬儀社と打ち合わせをし、
各所に連絡をし、買い出しに走り・・・

そんな中、ふと時間を見つけると
そっと二階に足を運んで、眠るせっちゃんの隣に立ってみる。
母にお化粧をしてもらったその顔は微笑みを浮かべていて
今にも、笑い出しそうだった。
しばらく過ごすと、僕は忍び足で部屋を後にする。
彼女を起こさないように。

家で最期までと僕らが決めた時
せっちゃんはまだ、生きるつもりだったろう。
12月の終わりのこと。
けれど、ほどなく起きられなくなり、飲めなくなり、握れなくなった。

彼女はいつ悟ったか。
いつ終わりを思ったか。
言葉にならない声と、一時またたく瞳の奥で
僕らに何を伝えようとしていたのだろう。

お別れ会は、祖父の時と同じく、我が家の空中散歩館にて執り行われた。
急な日程にもかかわらず、70名を超える方々が
最期のお別れに訪れてくださった。

自分の絵画群に囲まれて
花の中の棺に、せっちゃんは眠っている。

開式の宣言に続いて、
人前で話すことが何より苦手な母が
せっちゃんの経歴を話した。

成功した古書店の裕福なお嬢様だった少女時代。
灰色の戦争、焼け野原の東京、生きる意味を問い、
「絵を描く」と決めた時の躍り上がる思い。
川端美術学校から女子美術大学、結婚と子育て、
60歳で移住した湯河原での生活。

絵筆を握り続け、真理を追い続けたその人生は
情熱の炎に己が身を焦がしつつ、誰もを魅了した。

せっちゃんを誰より近くで支え続けた母、
同じ絵描きとして生きる母の言葉は
澄んだ小川のせせらぎのように、心に染み入って
彼女の生の、ひとつの完結を見たような気がした。

「私の絵は、宇宙から降り注ぐ愛への、ささやかな返信」
せっちゃんはそう残したそうだ。
彼女の絵画に流れる、あの優しさの謎が解けた気がした。

大成絵画教室の第1期生、巌谷さんのスピーチ
日野道生さんのフラメンコギター、
せっちゃんが22年通ったコーラスグループの歌。
齋藤徹さんのコントラバス。

棺を囲い、僕は妻と踊り、歌い、詩を読んだ。
家族や友人が、言葉を贈った。

お別れ会が終わり、霊柩車に乗せられたせっちゃんの身体は、
あっという間に焼かれ、白磁の壺に収められてしまった。

もちろん僕らは知っている。

彼女が、重い身体から解き放たれ、
苦しみからも痛みからも自由になって、
吹き渡る風の中を、この朝の光の中を
自在に飛びまわっていることを。

素晴らしかったね、せっちゃん。
あなたの生は、素晴らしかった。

光に向かって小さな女の子が駆け出していく。
その背中を追いかけて、僕も夢中で走り出した。

***

|祖母へ (2014年)

あなたが
ニューヨークから帰ってくる日を待って
僕は、生まれた

病室の窓辺から
桜の花びらが、舞い降りて
小さな祝福をくれた

あなたはその胸に僕を抱き
母となった娘を
誰よりも誇らしく思った

小さな少年の目に
世界のすべては不思議だった
魅せられたあなたも、幼き少女になって
2人は世界の旅に出た

風と話し
木々と語らい
三日月の物語に耳をすませて

手をつなぎ
どこまでも、どこまでも
川沿いの道を歩いた

あなたは、小さな僕に、教え
小さな僕から、多くを学んだ

時は過ぎ
あなたの背を抜いたころ、
僕らは友達になった

あなたの元を離れても
僕はあなたに会いに戻り
東京の暮らしを語り、
夢中で哲学の話をし
それは、仕事の話へと変わった

あなたはいつだって
少女のようにまっすぐで
傷つきやすく
転げるように笑い
その瞳には
いつの日も忘れられぬ
哀しみをたたえていた

あの春の日に出会ってからずっと
あなたは、あなただった

あとどれくらい
僕らは、共に この世界を生きるのだろう

あの夏の日
僕らは並んで、夕焼けを見ていた
蚊取り線香が炊かれていて
重く熟れた太陽が水平線に落ちようとしていて

僕らは共に闘った戦士だった日のことを
思い出していた