ラオスに行ってきました。
ホーチミン経由で首都ビエンチャンに到着。
人口60万人のキャピタルシティーは、
東南アジアの熱気と、ローカルな”のんびりずむ”が絶妙。
人々はとても優しく、真面目。
いっぺんに気に入りました。
ラオスの歴史は、過酷です。
植民地支配、第二次世界大戦を経て、
ベトナム戦争から、冷戦の代理戦争としての内戦。
この「普通の町並み」は戦火の爪痕の上で、
人々が、懸命に再建したモノなのだ・・・
何か、役に立てることはないだろうか・・
そんなコトを思って街を歩きました。
さて、夜になると街の一角に、
無数の露店が連なるナイトマーケットが姿を現します。
街路が、どこからともなくバイクに乗ってやってきた
露天商たちの小さなテント群で埋め尽くされると、
数百メートルに及ぶ、巨大なテント村が出来上がるのです。
灯りに照らされたテントには、色とりどりのお土産が並びます。
手織りのショール、シルクのスカーフ、手彫りの置物、
少数民族の刺繍や、骨董品・・・などなど・・・
観光客との値段交渉が各所で行われ
華やかに、賑やかに夜がふけていくのです。
さて、僕はマーケットを歩きながら、思いにふけっていました。
露店で売っている商品は、どこを見ても、基本的には同じ商品なのです。
もちろん、隣のテントとは違うのですが
数件先では、まったく同じ商品を扱っている。
みんなが同じ工房から、買い付けているんでしょう。
きっと、観光客は日替わりで充分にやってくるので
隣の店と差異化をする必要性がないのです。
僕は思いました。
少しでも違うモノ、オリジナリティのある商品を売ったら、
お客さんは足をとめるのにな・・・
そんなコトを考えて、眠りにつくと、
明け方の夢の中に、1人の女性が現れたのです。
民族衣装を着た、美しい女性でした。
場所はあのナイトマーケット、赤いテントを白熱灯が照らしだしていました。
僕は、彼女に話しかけました。
みんな、隣の人と同じモノじゃなくて、別のモノを売ったら良いんだ。
少しでも、オリジナルの商品を扱ったら、もっと売れる。
それで工夫し合ったら、このマーケットはもっとたくさんの人が来るよ。
すると、彼女は笑って言うのです。
「そうしたら、隣の人は、どうやって食べていくの?」
僕は、はっとしました。
そこに、ひとつの経済のカタチ、論理のカタチが
ありありと見えて来たからです。
彼女は続けました。
私には、できる。時間もお金もあるから。
だけど、あのテントのお母さんは子育てで、それどころじゃない。
私がそれをすれば、彼女は職を失って、子供を育てられなくなるでしょう?
僕は、気がつかぬうちに、自分の論理を振りかざしていたことに思い至り、
返す言葉がありませんでした。
すると風景が遠のき、目を覚ますと、ホテルの朝なのでした。
明け方の夢は、不思議です。
いつからか、明け方の夢、まどろみ中で、僕は教えをもらうようになりました。
・・・その時に感じている疑問、クライアントへの助言、自分へのアドバイス・・・
それは、驚くほど的確で、正確な情報です。
昔の上司も「夢の中で解決策を見つける」・・・と言っていましたし、
わりと良くあることのようですね。
閑話休題
さて、ナイトマーケットにあったのは、
「誰も食いっぱぐれない商売の形」でした。
同じ商品を売っているが故に、売れるかどうかは、時の運。
もちろん、その日の店の場所や、店主の努力によって、多少は変われども、
基本的には、誰もが、同じくらい売れる(=時に、同じくらい売れない)のです。
その原理を、現代日本に導入したのなら、まったく機能しないでしょう。
しかし、彼らの現状においては、
差別化と競争の原理を導入するより、
遥かに、「生き延びる」ことに資するのです。
それは、今、彼らが置かれている状況、その生の現場において、
彼らが持つ、最適解なのです。
彼らがそれを頭で理解して行動しているかどうかはわかりませんが、
そこには、確かな論理が働いている。
僕は改めて、思いました。
全て、この世に在るモノは合理的で必然的なのです。
端から眺めて、どんなに非合理に見えても、必ずそこに必然性がある。
物事は、「あるべくして、ある」のです。
そこに暮らす人達の生き延びるための活動が、紡ぎ出した仕組。
それは、時代の流れの中で変わっていくかもしれません。
差別化とオリジナリティの時代へとシフトしていくかもしれません。
それは、悪いコトではないけれど
そこで失われていくものは、必ずあるのです。
テントでは
たくさんの赤ちゃんが、お母さんのおっぱいを吸っていました。
温かな光の中で、幸せそうな寝息を立てて。
日本ではもう、失われた光景ですよね。
人類の最も美しいカタチ、最も美しい情景のひとつが
失われたコトは、哀しいことだと思います。
ラオスの街の歩きながら、
僕は改めて、ビジネスについて、暮らしについて、
経済の発展について、考えました。
日本は、今、過渡期にあります。
物質的な豊かさは飽和し、多くの人が、生きる目的を
精神的な成長や、満足へと切り替えています。
もはや、物質的な豊かさを追う人は少数派とすら言えるでしょう。
僕らはもう、欲しいモノはほとんどないし、
あったとしても、それは誰かに誇示したりshow offするためのモノではない。
流行に乗りたいとも思わないし、
ブランド品をまとう必要もない。
もう、そういうものは、充分堪能したんです。
消費は、心地よさ、暖かさ・・・心身の本当の豊かさに繋がるモノへと
シフトしています。
多くのモノを所有すること。大きな力を所有すること。
そういうコトを、僕らは、もう辞めようとしています。
所有、支配、分離から、シェア、支援、統合へ。
外側の豊かさから、内なる豊かさへ。
ここにたどり着くために、
僕らは、徹底的に物質的で、観念的で、象徴的な文化を創りました。
そして、その破綻を、ほとんど全ての領域で眺めています。
教育、医療、育児、経済、法治、政治、企業・・・
もはや、これらの古い制度の耐用年数は過ぎ、
多くの分野で、それに置き換える新しい制度造りが、はじまっています。
確かに、ここまで来れば、その根本にあった問題が顕在化して、
強制的にでも、個々人が生き方を変えざるを得ないわけですから、
すべては、「正しいプロセス」だったとも言えます。
国民病の「うつ」というのも、
強制リセット&シフト機能の発動のことですから。
さて、ラオスの人々は、東南アジアの人々は、
このプロセスを必要とするでしょうか?
日本が辿った、民主主義の典型パターンをなぞるのでしょうか。
人間は、失ってから、取り戻すという在り方でしか、学べないのでしょうか。
それとも、別のカタチでの発展可能性を僕らに教えてくれるのでしょうか。
別のカタチで、学び、気付いていく在り方を僕らに、見せてくれるのでしょうか。
きっとそれを決めるのは、ラオスの若き人々でしょう。
ほんの少しの時間でしたけど、僕が触れ合った人々は、純粋で美しい人々でした。
彼らが、国を、文化を、価値観を、世界観を、人生観を、死生観を
造り上げていくのでしょう。
これから変わっていく、若き国の変化のプロセスの中で、
僕らはどんな役割を果たすのだろう。
そして、何を教えてもらうのだろう。
ラオスの旅はたくさんの問いをくれました。
その問いは、きっと僕を変えていく。
たのしみでなりません。