僕らは、毎瞬、自分の現実を創り出しています。
自分が、意識していようと、していまいと、
僕らは、自分が創り出したリアリティを生きます。
しかし、時に、「どうして、こんな経験をしなくてはならないの?」
という経験をしたり、辛くって苦しくって天を仰いでしまうこともある。
しかし、すべての経験は、必然的に創り出されています。
いや、自分が必要に応じて、創り出しているという表現が相応しいでしょう。
現実生成の目的というのは、
「自分が、より自分らしく生きるため」
です。
シンプルですけど、それだけです。
自分をより、自分にする。
自分の可能性を、100%発揮する。
それを実現した時に、
僕らは、相手が相手であることをそのまま尊重し、
相手の可能性を引き出し、世界に貢献することができます。
自分を信じる人、自分を愛する人、自分を生きる人は、
相手を信じ、相手を愛し、相手が相手の人生を生きるコトを祝福する人です。
逆に、自分が自分でないモノになろうとしている時、
自分の可能性を、押し込めている時、
僕らは、相手らしさを認められなくなり、不寛容で、利己的で支配的になります。
だから、「自分が自分であること」だけが、僕らに与えられたタスク。
それをすることが、人を幸せにすること、世界に貢献することです。
僕らは、そうあるために、自分自身にレッスンを与えます。
それが、「経験」です。
あらゆる経験は、自分が自分になる機会です。
本人が、理解していようと、いまいと
それは、必ず、その様な機会として構成されています。
だから、どんな経験をしても、
「この経験を通じて、自分に戻ろう!より自分らしい場所にいこう!」
と意志した時、道が開けてきます。
その瞬間に、現実に、ポジティブな意味を与えることができます。
全ての現実は、全ての経験は、ポジティブに使うことができます。
ネガティブな感覚を持つな・・・という、ことではありません。
ネガティブな感覚を持ち、感情を持ったなら、
それを、まっすぐ感じる。
その上で、自分の経験を「自分が、自分になるためのレッスン」として、
より大切に扱っていく・・・ということです。
きっと、その小さな積み重ねが、僕らを、
吹き渡る風をゆく鳥のごとく自在な境地、
自らの幸いを世界の幸せへとつなげていける場所へと、
導いてくれるのだと思います。