満ち足りて生きるコト | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

今日のテーマは、「満ち足りて生きる方法」です。

僕らは、よくこんなコトを想います。
・夢が叶ったら、幸せなのに!
・◯◯が実現したら、どんなに満足できるだろう!
・自分の思いが実らなくって、不満だ!
だから、僕らは、張り切って、「願望(夢・目標・想い)」を実現しようと
頑張るわけです。

「願望を実現すること」は、素敵なことです。
夢を叶えたり、目標を達成したり、目的地にたどり着いたり。
それ自体は、非常にワクワクする、パワフルなことです。

僕らは、願望を持ち、それを叶えることで、
成長し、社会とつながり、人生を豊かに生きていくことができます。
そして、その個々人の頑張りが、豊かな社会の構築へとつながってきました。
だから、願望は、「自らの人生を牽引する」という役割を担っている
と言っていいでしょう。

しかし、ここに落とし穴があります。
「願望」という心理機能が僕らの心の備わっている目的は、
「牽引するため」だということです。

つまり、願望とは「今=足りていない」からこそ、「未来=足りる場所にいこう!」
という仕組みで、僕らを、モチベートする装置なんです。

だから、僕らの「願望」というのは、そもそも
「永久に、満ち足りることがない様に、作られている」
というわけです。

僕らは、この願望装置(=足りていないから、足りる所まで行こう)
によって、とっても豊かな社会を創りました。
でも、今、ほとんどの人が、「精神的な豊かさの探求」へと
人生の目的をシフトをしています。

では、精神的な豊かさとは何か。
それは端的に「心の満足」のことです。
じゃあ、「満足=心が満ち足りている状況」・・・をどうやって、創るの?
僕らは、無意識に「満足感は、願望の実現によって満たされる」と考えてきました。
ここにギャップがあるのです。

しかし、見てきた様に、
「何かを叶えたい」という願望は「満ち足りる」ことはありません。
どこまで行っても、「もっと高い目標」、「もっと大きな目的」が
目の前に広がって、それを追いかけることになります。
もっと、もっと、もっと・・・

これは、「願望を実現するコト」の中毒症状です。
その中に居ると、「永続的な満足」は遠のいていきます。
(だって、いつだって、「今・ここ」は「足りていない場所」なんですから)
もちろん、一次的な満足感・・・は体験できます。
しかし、その感覚はすぐに消えてしまう。
だから、もう一度「願望の実現機会」を自分に与え、その感覚を得ようとする。

ワーカホリック(仕事中毒)と呼ばれている状況なんて良い例ですね、
スケジュール帳がいつも一杯!とか、買えば買うほど欲しくなる とかとかとか・・・

もちろん、それは、悪いコトではありません。
でも、頑張っても、頑張っても、なんだか、満たされない、疲れてしまう・・・
そんなコトを感じたのなら、視点を変えてみるのです。
それは、「『今・ここ』に足ること」へシフトするということです。

見てきた様に、「願望装置」の仕組み上、
「願望」を軸にすると、「今・ここ」は、常に「足りていない場所」になります。
つまり
・今ここ=願望が実現される前の状態 → 満ち足りてない
ということですね。

これを、ひっくり返す。

ここは、「論理」を使って、ひっくり返すことができます。
即ち、
・今ここ=願望が実現された状態 → 満ち足りた状態
とできれば良い。

では、いかにして、それを実現する?
それは
 <b>「今、ここ」に、自分の必要なモノは、すべて揃っていることを知り、
 自分が「今・ここ」に存在するコトの、必然性、運命性を確信すること</b>
によってです!

この理路を少し詳しく見ていきましょう。
僕らは、自分の「必要性」(=こうありたい、こうしたい)に応じて、
意識的・無意識的に、感じ、考え、選択を重ねながら、生きています。

だから、今、自分が居る場所=「今・ここ」とは、
これまでの人生における、大小・無数の「願望」の集大成なわけです。
即ち、「今・ここ」とは、願望を実現するための準備地点ではなく、
これまでの願望が「実現された場所」なんです。

今・ここ=「願望が実現された場所」と言うと
「え~!夢なんか叶ってないよ!」と思うかもしれません。

確かに、僕は、小さい頃になりたかった「忍者」にはなっていません(今のところ)。
しかし、僕は、「忍者」に向けて、選択をしてきませんでした。
忍者になるのであれば、僕は忍びの術を学べる場所を探し歩いたでしょう。
でも、僕は、普通の中学生、高校生・・社会人になる・・・という
「より強い願望」を優先しました。だから、そちらが、叶ったわけです。

僕らの中には、「願望」は、たくさんあって、時に、それらは矛盾しあいます。
また、自分の中にある願望すべてを、自覚しているわけでもありません。
故に、僕らは、「自分が願望を叶えていること」に気がついていないコトが
ほとんどなんです。

しかし、重要なのは、願望に気付いていても、気付いていなくても
僕らの日常は「願望の現実化した姿」としてしか、存在しないということです。
確かに、「今、ここ」とは、必然的に、運命的に、辿り着いた場所なんですね。

しかし、僕らは、多くの場合、そのことに、気付いていません。
だから、必然的(=もっと、自分にふさわしい)な未来を目指し、
運命的(=もっと、自分らしい)な仕事を探す。

しかし、未来だけを見ていると、それらは、実現しません。
もうお分かりの通り、必然と運命は、もう既に、今、目の前に存在しているからです。
今、目の前にある現実こそ、これまでの自分の重なりが、
生み出した必然的・運命的な場所です。

それを気に入っていても、嫌だなーと思っていても、
それが、今の自分の「運命の場所」です。
そこが、今、唯一フォーカスすべき対象なんです。

「今・ここ」を、願望の実現された場所として生きるコト、
「今・ここ」に、必然性・運命性を、実感すること、
それが、「今・ここ」に満ち足りて生きるベースになります。

繰り返します。
「心の満足を得ること」=「満ち足りるコト」とは、
「今・ここ」この運命性・必然性を実感するコト
です。

だから、まずは、問いかけてみましょう!
「なぜ、自分は今、ここに居るのだろう」、
「なぜ、自分は、この体験をしているのだろう」と。

この問いを支点にした時、
はじめて、自分が今・ここに居ることの「意味」を知る旅がはじまります。
それは、「自分が生きる目的」を知る旅路です。
その答えは、「今・ここ」にあります!!

そして、「今・ここ」で向き合っているテーマ(人生の課題)が見えた時、
「今・ここ」ですべきことは、明確になります。
「今・ここ」に生きるコトが、確信に満ちる。

心の満足とは、この確信、今、自分がそこに居ること、
自分がしているコトに対する信頼のことです。

今、ここに生きている。
今日を生きている。
それだけで、大満足。
きっと、そんな日々が待っています。

一緒に、旅をしていきましょう。
そして、豊かで、幸いなる日々を創り出していきましょう。
僕らは、きっとできる。
だって、そのために、生まれてきたんですから。