僕たちは、日々気づき、日々学び、日々変化をしています。
僕らの周りには、いつだって新しい情報、新しい経験、新しい機会があって、
そこに向かっていくのは、とても刺激的な体験です。
でも、時に、それを止めてみるのもよいかも知れません。
「新たな知」は、新しい自分へシフトする扉です。
しかし、新しい知を求め、扉を開こうと決める時、
僕らは無意識に、今の自分を「足りていない」と評価しています。
・足りていない。だから、足したい。
これが、僕らをまだ見ぬ大地へと牽引する動力です。
即ち、「成長の欲求」とは、「自分の未完了性の確信」の裏返しなんですね。
・今の、私では、~する実力がない
・~するためには、もっと◯◯が必要だ
・~がないから、できない。
もちろん、だから学ぼう!成長しよう!・・・と
ポジティブな方向性が生まれることで、僕らは自らを成長させることができる。
しかし、成長を望めば、望むほど、
自分を否定する(今の私は足りていない・・・)という構図も
同時に、強化されていってしまうのです。
故に、いつまでも踏み出せない。
「~するにふさわしい実力が、まだない」と思うから、進めない。
そして、重なった「今の自分、未完の自分の否定」が、ずっしりと重くのしかかって来る。
だから、時に、「新しい知を求めるコト」を止めてみるのです。
今、知っているコト、今まで、経験してきたこと、
自分のパーソナリティ、感覚、感受性、意志・・・
それら、「もう既に自分の中にあること」を動員することにフォーカスしてみる。
自分のできる範囲、知っている範囲だけで、
目の前のテーマに臨んでみる。
きっと僕らは、自分が思っているより遥かに優秀で、
自分が思うより、ずっとずっと多くのコトを知っています。
常に、僕らは、準備出来ています。
自分の前に立ち現れたテーマに取り組む時、
今の自分がパーフェクトであることを思い出してください。
挑戦に必要なのは、成長ではなく、今の自分を信頼することです。
そして、自分の内部へとフォーカスした時、
きっと、自らの「新しい可能性」に出会います。
「新しい何か」は、いつだって、自分の内側から湧いて来るものです。
だから、外側からの知の流入、外側の知への志向を止め、
自らの内側に留まること、徹底的に自分の既知に生きるコトで
むしろ、自らの未知なる可能性を拓くことができる。
僕らの内部セカイは、外のセカイと同じだけ広い。
そして、外にある知と同じだけの知を、備えている。
自分の足下にこそ、既に与えられたモノの中にこそ
必要な知は揃っているんですね!
昨日は、そんなことを、教えてもらいました。
もちろん、僕の内なる声にね ♪