先日、Om Shanti Om「オームシャンティオーム 恋する輪廻」
という映画を見てきた。
「ボリウッド」の大作を初体験。
感想、めーっちゃ面白い。そして、圧倒された!
映像に?演出に?ストーリーに?豪華なダンスに?
もちろんそれもあるけれど、「現象を捉える視点の深さに」である。
例えば、
すれ違う男女・・・それを、日本のドラマや映画であれば、
小さなすれ違い、小さな誤解、そんなところから、壊れていく関係性・・・
といった描き方が主流だ。
僕らの暮らす小さな日常と、
その中にある等身大の悲しみや空しさ、小さな幸せ。
それは、「偶然によって壊れてしまう、儚いもの」なのだ。
一転、ボリウッド。
すれ違う男女の心は、巨大な輪廻とカルマの結果であり
その背後には、時空間を超えた、因果の物語がある・・・
前世での因縁、巡る運命と、宿命的な出会い・・・
それは、「必然的におこった、歴史的な瞬間」なのだ。
日本の映画はリアルで、インド映画は、奇想天外なファンタジー・・・
実は、そうではない。
ボリウッドの描くセカイは、ひとつの「リアル」を僕らに教えてくれる。
もちろん、輪廻転生とカルマが、直接「リアル」だというのではない。
出会いや、別れ、生き方、愛や悲しみ・・・
僕らが味わう人生の全ての瞬間を、「必然」として捉えるという
描き方が、「リアル」なのだ。
なぜ、全ての瞬間が、「必然」なのか?
それは、僕らの選択や判断や認識が、全て必然だからだ。
僕らの行動は全て、意識的・無意識的な「意志」によるものだ。
自分の「意志」が積み重なった結果が、僕らの「今」である。
だから、あるべくして、僕らはここにいて、
起こるべくして起こることを、体験している。
そして、僕らの無意識の「意志」を司るのは
自分の過去だ。全ての記憶が、信念が、僕ら中に眠っていて、
自分の意志に、行動に、強い影響を与える。
いや、「自分の過去」という設定では、不足しているだろう。
自分が生まれ育った環境には、家族の人生がしみ込んでいる。
僕らの中には、家族の記憶が、家族史全てが「受け継がれている」と
言っても過言ではないのだ。
そういう意味で、僕らは「世代を超えた宿命」の中にある。
僕らは、「時空間を超えた、因果の物語」を、毎日、生きているのだ。
インド映画に描かれていたのは、そんな「リアル」な世界観だった。
目の前の現実を、巨大な物語の中で位置付け、解釈するという
その眼差しの深さ、その世界観の圧倒的な包容力を前に、
僕は、震えてしまったのだ!