鏡の法則、その理解と利用のために 2 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

さて、前回に引き続き、
「鏡の法則」について、さらに深めていきましょう!
今日は、鏡の法則を「使うタイミング」と「適用範囲」についてです。

リアルな鏡をイメージしてみてください。
・・・リビングでも、お風呂でも、ポーチの中の鏡でもいいです・・・
その鏡にはいつだって、何かが映っています。
見ている人がいても、いなくても、
いつだって、鏡は目の前のモノを映し出しています。

「鏡の法則」においても同じです。
現実という鏡も常に、24時間、365日、
その人の「心」を、反射し続けています。

だから、現実は、「心の転写」、「テーマの現れ」というカタチ以外で、
存在している瞬間はないんです。

あるテーマ(課題)が、その人の心の中にあるとしたら、
それが現れたり、現れなかったり・・・というわけではありません。
強弱はあれど、「いつも」現れています。
これは、とっても重要なポイントです。

例えば、今。
まさに今、この瞬間、セカイという鏡は、あなたの内面を映し出しています。
それは、「この文章を、いかなる視点で読んでいるか」というカタチで!
この、僕のブログの文章を読んで、どんな感想を持ちましたか?

・何が言いたいのかわからない・・・(ぐすん)
・なんか、上から目線がやだ!
・むしろ、下から目線が好きじゃない(どうしろと・・・)
・まさに、聴きたかった!(ありがとう!!)

さて、いろいろ、感想があると思います。
そこで、自然に浮かんできた「感想」こそが、
あなたの人生のひとつのテーマ(課題)を反影しています。

文章の意味は、実は「作者」ではなく、「読者」が決定しています。
記号論を大成したフランスの哲学者ロラン=バルトは
「作者の死」という言い方をしています。
文章を読むというのは、あらかじめ決められた情報をインプットするのではなく
自分で意味を与えていく、とても能動的で、クリエイティブな体験です。

自分のテーマになぞらえて、解釈していく。
(だから、同じ小説を読んでも、みんな異なる感想だし、
 昔読んだ小説をもう一度読んでみると、全く違う本の様に感じます)
皆さんは、自分が読みたいように、この文章を読んでいます。
皆さんが、「意味を与えた主体」なんです。

僕の文章は、星空の様なモノです。
そこには、ランダムに輝く星々散らばっているだけ。
そこに星座=「星のグループ」を見つけたのは、皆さんです。
もともと、「オリオン座」が存在している訳ではなく、
「オリオン座」というグループを知っているからこそ、
ランダムに配置された星々から、「オリオン座」というカタチを
選び出すことができる。

故に、皆さんがこの文章から受け取ったイメージ、感覚、情報、気付き、学び・・・
それは、皆さんの「中」から出てきた物です。
僕の文章という「鏡」を通じて、自分を映し出したということです。
だから、その「鏡」に向けた「感想」とは、自分に対する「感想」に他なりません。
僕の文章への「感想」は、実は、自分に向けたメッセージなのです。

そのメッセージは、テーマ(課題)へと僕らを連れて行ってくれます。
自分が今、人生で経験していることを、教えてくれます。

あくまで、テーマは「例」ですけど、こんなイメージです。
僕の文章への感想を、全て、自分に向けたメッセージに読み替えます。

・何が言いたいのかわからない
 →自分のテーマ:シンプルに伝えること/自分の中の複雑な要素をクリアにしていくこと

・なんか、上から目線がやだ!
 →自分のテーマ:フラットであること/偉ぶらないこと/等身大の自分の力を信頼すること

・むしろ、下から目線が好きじゃない
 →自分のテーマ:気を使わないこと/ずるがしこく生きないこと/怖がる必要がないこと

・まさに、聴きたかった!
 →自分のテーマ:全てのタイミングはパーフェクトだということ/用意ができたら躊躇せずに進むこと

それが、「その人が人生に対して、共通で向けている視点」となります。
つまり、朝起きてから寝るまで、その視点を持って生きている、
共通して、そのテーマによって、人生を形成しているということです。
(もちろん、心の中に、テーマは複数あるので
それぞれのテーマが交互に・・とか、強弱をつけて・・というのはあります)


さて、見てきた様に、
自分の感想、口にした言葉、気になったフレーズ・・・
自分が聞き取った言葉(インプットした言葉)と、
自分が使った言葉(アウトプットした言葉)は、
全て、自分が自分に向けたメッセージです。
故に、僕らの日常は、「自分との対話」以外のカタチで存在することはありません。

・僕らが言葉を受け取る時、それは、自分からの手紙です。
・僕らが言葉を与える時、それは、自分への手紙です。

(日々、僕らは、なんて、無意識に言葉を使っているんだろう。
 全てが、自分が自分に書いた手紙だというのに!!)

僕らは、いつだって、メッセージを受け取っています。
その声は、自分自身の置かれている状況や、自分自身の中にある課題を
いつも教えてくれています。

僕らは、四六時中、語りかけてくれる
スーパーガイドと共に生きている様なモノです。
(もちろん、ガイドは自分なんですけど・・・)
僕らには、生きている限り、無限のヒントと、
無限の可能性が与えられているということです。

前回も触れましたが、
僕らは、そのメッセージを聴くことを、長らく忘れてきました。
自分の外側に、原因を求めるという作法を、長らく習慣にしてきました。
(もちろん、それが、必要な時代だったからです)

多くの人が、「無意識」に、そこに向かっています。
あと数年もすれば、今、僕が書いていることは、
「当たり前すぎて、話をするまでもないこと」になると思います。
この2~3年の変化の速度を見ていて、そう思います。

さて、鏡の法則を「使う」という点について、最後に書いておきたいと思います。
鏡の法則を意識して使う場合、
あるシーンに対して、意図的に、その考え方を当てはめてみる・・・
というところからスタートすることになると思います。
例えば、

・同僚と喧嘩しちゃった・・
・職場で、人間関係がうまくいかない・・・
・いつも、付き合う相手が浮気する
・なにか、満ち足りない
・いつも同じ様な状況で、必死で走っている・・・

そんな時に、自分の中の何が、その状況を創り出したのかを見つけるために
「鏡の法則」を使って、考えてみよう!・・となるわけです。
(もちろん、「鏡の法則」=現実は鏡・・・という知識だけで、
全てが解消するわけではありませんが、その仕組みを前提にして、
アプローチをしていくということです。

これが、スタート地点。
しかし、次第に、常に「鏡の法則」の目線で、
自然にセカイを見ていくようになります。
基本的に、ずーっと使っている状態。

「界王拳」を常に使って戦っている悟空みたいな・・・
いや、バックグラウンドで常にソフトウェアが走っている
・・・みたいな感じかなと思います。

大変じゃないの?
と言われることがありますが、まったくそんなことはありません。
慣れてくると、らくちんです。
人生がゲームになります。
「目に映~る~、すべてのものは~メッセージ~♪」状態です。
森羅万象が、自分の内部とつながっていきます。
あらゆる現象が語りかけてきます。
セカイが、自分になります。

・・・僕も、まだ途上ですので、
意識しないと、見えなくなってしまうことがあるし、
すっかり、「誰か」や「何か」を批判している自分に気がつくこともあります。

だから、こんな風に、書いているんですね。
もちろん、この文章の宛先は、僕自身です。
僕は、僕自身に向けて、手紙を書いている。
自分に教えている。メッセージを贈っているんです。
それは、自分自身が、まだまだ、そのことを、
意識化しなくてはならない場所にいることを示しています。

でも、それだからこそ、こんなコトを書いて、
もしかしたら、誰かの役に立つことが出来るかもしれない。
未熟であるということは、可能性なんです。
未熟だからこそ、僕らは互いに与え合うことができる。
このセカイは、そんな奇跡的な仕組みで動いているんですね!

さて、予告した、
「自分のテーマに即した学びの場、最適な場が、自分の前に現れる」仕組みに
案の定、届きませんでした。

次回こそは・・・書けるかな~