僕が、最初にカウンセリングセッションを行ったのは、19歳の時だった。
当時の僕が、行っていたことを考えると、未熟だったなあと思う。
しかし、実は、当時とやっていることの本質やアプローチの方法論は変わっていない。
突然、せざるを得なくなって、文字通り「必死」で、やっていた方法だからこそ、
本質は、掴んでいたんだろうと、今になって思う。
さて、そこから、10年。
僕の方法論は、より効果的なモノへとステップアップしている。
では、今の僕が当時の彼らにセッションを行っていたら、
より良い成果を出せていただろうか?
答えは、”NO”だろう。
その確信がある。
当時の彼らには、当時の僕だったからこそ、手渡せたモノがあった。
当時の僕だったからこそ、できたことがあったのだ。
人間関係とは、常に、最高のカタチで生成されている。
完璧なタイミング、完璧な出会い。完璧な関係性。
「今の僕」が必要な人と、僕は出あう。
「今のあなた」が必要な人と、あなたは出会う。
これは、超自然的な法則の話ではない。
コミュニケーションという行為の「仕組み」が、
必ず、その様な状況を作り出すということなのだ。
コミュニケーションとは、「わたし」と「あなた」による言葉(広い意味での)の交換である。
しかし、僕らは直接に「言葉」を交換しているわけではない。
(テレパシーの様なモノがあるとしたら、それは「直接」かもしれないけれど)
僕は、相手の言葉を聞いて、自分の頭の中で「解釈」をし、相手の言葉の意味を「決定」する。
逆に、相手は、僕の言葉を、相手の人生経験を経由したカタチで、解釈し、聞き取る。
これが、コミュニケーションの基本原理だ。
すると見えてくるのは、コミュニケーションとは、
「自分が、意味を与えるモノ」だということだ。
僕らは、あくまで、「自分が、与えた意味を、受け取っている」のである。
実は、コミュニケーションとは、「自分に必要なメッセージを、相手の言葉から拾い出す作業」なのだ。
だから、コミュニケーションは、必ず、「今、自分に必要なメッセージをくみ出せる」ことになる。
いや、それ以外のモノをくみ出すことはできない。
人間関係とは、コミュニケーションを通じた、他者との交わりのことである。
故に、人間関係は、今の自分に最も必要なメッセージをくれる人としか、出会えない様に、
構造化されているのである。
だから、全ての人は、メッセンジャーとして、自分の目の前に現れているということだ。
だから、目を見開こう。
目の前には、今の自分に必要なモノの全てがある。
相手の言葉には、自分が自分に宛てた、最上のメッセージが潜んでいる。
そして、同時に、自分の価値を信頼しよう。
人間は、常に未熟である。しかし、未熟であっても、いや未熟であるがこそ、
その等身大の自分が、誰かにとっての、最良のメッセンジャーとして機能している。
あなたが出会った人は、あなたの必要な人であり、あなたを必要な人なのだ。
皆さんは、僕に取っての、大切な、メッセンジャーです、
出会ってくれた、感謝を込めて。