私なんて、どうせ、私なんか…

やっぱりムリ…


自分を否定するような言葉の魔法に

かかっている方いませんか?


否定する言葉達って


自分を変えたいと思った時、

新しく自分が何かを始める時


こういった時に足枷になる

邪魔なもの達なのですよね。


本当に自分には価値はないのか?


分かりやすくお金はお金で例えた

私の例で見てみましょう。


私がなぜお金がないんだろうと思った時の思考⬇️


やっぱり私に見合ってお金がないよね。

無いことが当たり前、


周りの人間も私がお金が無いことを望んでる。

自分にはそんな価値ない。


権力、能力、名誉もないから

大金なんて私には相応しくない。


だから私にはお金が無い方がいいんだ。


ないないだらけ😂

思い込んでることほとんど幻の感情です…


要するに(人が思う)自分の価値=お金

になっていました。


しかもその価値は

他人の物差しで測った価値なわけです。


見合ってる、相応しい…

からお金はあるのではなく、


本当は自然にそこにあるものなんですよね。


ない…と言ってるけど


財布には1円以上入っていて、

家賃や諸々払えている。


例え無かったとしたら、


働けば…

理由があって働けなければ


自治体に言えば…助けを求めれば…

いくらかでも手元に入る手立ては探せばありそうなもの。


どこかから貰える

なんていうラッキーな入り方もあるわけです。


その人に資格があるから相応しいから

大金が手に入っているというのは


TVやニュースで長者番付や、

どこかの社長の成功話など


感化されるものをどこかで見聞きした。

それが真実だと思い込んだ幻想なのです。


誰かに人を紹介する時は

いい所ばかりを言うのが当たり前ですよね。


裏の真実は見ようとしないから


この人には大金を得る資格があるのだという

人物像を作ってしまっていた。


という事に気づきました。


そのお金持ってる人が私からお金を集めて

また新商品を作ったり開発ができる。


それをまた私が買い、

また新商品やサービスが生まれる


ので、私がいなければお金持ちと思っている方々も成立しないんですね。


それなら私にも生きてるだけで価値はありますよね。




何かを変える時は、

失敗が付き物。


やっぱり私にはどうせできなかったんだ…とか、


確かに『昔』言われたことは事実。


でも今言われた訳ではなく、

自分で思い込んでるただの

幻の思いでしかないのですよね。


思いを深掘りしてみたら、

案外私みたいに真実は単純なものかもしれません


なんて、どうせ…なんて

自分に価値がないだなんてやめませんか?


という私からの提案です😄