公務員制度の歴史と経緯

 

 ○ 明治官吏制度 

・ 官吏は「天皇の官吏」として高い社会的威信を与えられていた。

・ 官吏は天皇が任命し、天皇からの距離に応じて親任官~判任官等の身分的 区分が設けられていた。 

・ 高文試験や政党政治からの身分保障などの官吏制度が天皇の発出する勅令 で定められ、官吏は天皇のため忠実無定量の勤務に服し、体面維持のための 俸給や恩給を支給された。 

 

明治20年(1887) 文官試験試補及見習規則により試験採用が始まる 

明治22年(1889) 明治憲法制定 明治32年(1899) 文官分限令により文官の身分保障が定められる 

 

○ 国家公務員制度 

・ 日本国憲法により公務員の基本的位置づけは「全体の奉仕者」(第15条) に転換。 

・ 官吏に関する事務は、法律に定める基準に従い内閣が掌理することとされ (憲法第73条)、国家公務員法が制定された。 

・ 国公法には、各省大臣が任命権者とされ、競争試験による採用を原則とす る成績主義原則、法律に定める要件に合致しなければみだりに解雇されない 身分保障の原則、職務を分析しこれに応じて給与を支給する職務給の原則、 政治的行為の制限、ストの禁止など厳格な服務規制などが規定された。 

・ 採用試験や給与勧告、不服申立に対する審判等を行うため人事院が設置 

 

昭和21年(1946) 日本国憲法公布 

昭和22年(1947) いわゆるフーバー顧問団による勧告に基づき国家公務員法制定 

昭和23年(1948) 2.1ゼネストなど激しい官公労の労働争議に対し、ストを禁止 する国公法の改正が行われる。 

昭和25年(1950) 地方公務員法制定(国家公務員法の内容をほぼ踏襲)

 

 ○ 国家公務員法の改正

その後の主な国家公務員法の改正としては次の二つが行われている。 

・ ILO 条約の批准に伴い、使用者側労務管理担当部局として内閣総理大臣 が中央人事行政機関に加えられ、各省人事管理の総合調整や服務の維持等 を所管(補助部局として総理府人事局を設置) 

・ 60歳定年制を導入するための改正(昭和60年実施) 昭和40年(1965) 内閣総理大臣を中央人事行政機関に 昭和56年(1981) 定年制度導入(地方公務員法も同時改正) 昭和59年(1984) 総務庁発足に伴い人事局を総務庁に移管 

 

○ 公務員制度の検討 

公務員制度については、臨時行政調査会などにおいて累次にわたる検討が加 えられ、各種答申等が出されている。 

 

昭和39年(1964) 第一次臨調「公務員に関する改革意見」 学者・有識者を中心に、公務員の範囲の見直しや一括採用、信賞必罰の励行 など広く議論が行われたが、ほとんど実施されなかった。 

昭和57年(1982) 第二次臨調基本答申 財政再建が課題となり、給与勧告が凍結される中で、公務員給与のあり方を 中心に人事院、内閣総理大臣の機能の分担が議論された。 

 

平成 9年 12月(1997) 行政改革会議最終報告 省庁再編や内閣機能の強化に関連して、人材の一括管理システム、内閣総理 大臣の人事管理機能の強化、内閣官房や内閣府への優秀な人材の確保をはかる ための政治任用の拡大や任期付き採用制度の導入などが提言された。 

平成 11年 3月(1999) 公務員制度調査会基本答申 行政課題の複雑高度化に対応して、能力・実績に応じた昇進、給与の実現な ど採用から退職まで各局面における人事管理の見直しが提言された。 

平成 11年 4月(1999) 中央省庁等改革の推進に関する方針 行革会議最終報告、公制調答申を受け、能力、実績等に応じた処遇、退職管 理の適正化などの政府の公務員制度改革を本部決定 

平成 12年 12月(2000) 行政改革大綱 信賞必罰の人事制度の実現など公務員制度の抜本的改革の方針を決定