私たちの周りには、様々な問題が起きます。その問題をどのように捉えるかは、受け取った人次第です。

 例を挙げて説明しましょう。
 遅刻した人がいたとします。その遅刻したことについて、「遅刻は、絶対に許されない。」と捉える人もいれば、「遅刻することは、誰にでもあるから仕方ない。」と捉える人もいます。
 きっと遅刻した理由を聞くでしょうが、その理由への思いが異なってきます。
「絶対に許されない。」と考えている人であれば、その理由が遅刻する理由として納得できない点を探したり、もっと努力すべき点を探したり、遅刻しないための努力や対応の至らなさを探し回ります。そして、それができない人だから、遅刻するのだと相手を否定することが多いでしょう。

 でも、「遅刻することは、誰にでもあるから仕方ない。」と考えている人は、理由を聞くだけで、その後、前者のように強く追求することはしないと思います。
 
 このように遅刻に対する重要度の違いが、問題の大きさになってしまいます。
 
 つまり、誰が問題を重要にしたかと言えば、「遅刻は絶対に許されない。」と捉えた人になります。

 このことは、遅刻に限らず、すべての価値観につながります。きれい好きの人、完璧主義の人、正義感の強い人等・・・すべての価値観を強くもっている人が問題の需要性を強調します。

 このことが悪いと言っているわけではありません。問題は、自分次第で問題になるということです。

 この時、問題にしたのは、自分なのですが、問題にした自分を責めることなく、原因を他人のせいにしたくなるのが、私たち人間です。

 これは、脳のはたらきと大きく関わっています。

 自分の安心・安全のために働く脳が、自分を守るために、様々な知恵を使います。他人のせいにしたくなるのもそのためです。

 自分が被害に遭わないように、自分の外のものに責任を転嫁するように働きます。

 「時間がなかった。」
 「お金がないから。」
 「○○さんが、言ったから。」
 「みんな、そうしているから。」
 「場が悪いから。」
 「そうする時期ではないから。」

などと自分から離れた対象としての時間、空間、もの、人などに責任を転嫁します。
 こうすることで自分を守ることができます。責任が自分にないとなると楽になります。

 ただし、この事が逆に生きづらくしていることにもなります。

 責められない自分でないと許されないのですから、価値観の強い人は、自分は、その価値観を大事にしない生き方は、絶対に避けようとします。

 時間厳守の人は、絶対に遅刻をしない自分にするために、様々な手を講じます。

 そして、万が一自分が遅刻をすると、自分を責めます。そして、自分を否定します。「こんな自分ではいけない。もっとその価値になった自分にしよう。」と強く願います。

 つまり、強い価値観は、人を裁くだけでなく、自分をも裁くことになります。これが、生きづらさになっていきます。

 もし、強い価値観で生きている自分に気づくことができたら、その価値観が自分を苦しめていることに気づくことができます。

 悩んだり、苦しんだりすることがあったとき、必ずそこには、自分の価値観があるはずです。

 この価値観が強すぎるために、悩んだり、苦しんだりしていないかを見つめてみることが問題解決の近道になります。
 
 実は、問題はないのです。ただ、気づきがあるだけです。問題は、自分が創り出している幻想に過ぎません。

 もし、今悩んだり、苦しんだりしているあなたがいたとしたら、自分の価値観を見つめる機会が今現れていると考えてみてはいかがでしょう。

 そこには、新たな気づきとともに新たな学びがあります。