子どものそばにいると、わくわくしている私がいます。
なぜ、そうなるのかを探ってみました。
・生きるエネルギーをもらっている。
・純粋で、受け入れる心の広さを感じる。
・手を差しのべたい気持ちになる。
・柔らかな感じを受ける。
・自分の夢が広がる可能性を感じる。
・頼られている感じがする。
・見られている感じがする。
・安心な感じを受ける。
これは、どういうことなのでしょう。
・子どもの方がエネルギーが多いということ?
・子どもの方が純粋で心が広いということ?
・子どもは弱い対象ということ?
・子どもの方が柔軟性があるということ?
・子どもは、夢を叶えてくれるということ?
・子どもの観察力は鋭いということ?
・子どもは安心を与える存在だということ?
という子ども観が見えてきました。
これを、ないものを求めるという立場からみると
・エネルギーが少ないということ?
・不純で、心が狭いということ?
・強いということ?
・柔軟性に欠けるということ?
・自分では夢を叶えられないと
・観察力が鈍いということ?
・今、不安な状態にあるということ
ととらえることができます。
これを、似たものをもっている立場からみると
(似たものに引き寄せられる)
・エネルギーが多い自分
・純粋で心が広い自分
・弱い自分
・柔軟性をもつ自分
・夢を叶える自分
・観察力の鋭敏さをもつ自分
・安心感を与える自分
ととらえることができます。
さて、本当はどっちなのでしょう。
・エネルギーが多いと感じるときもあれば、少ないと感じる時もある。
・純粋だと思う時もあれば、不純だと思う時もある。
・心が広いと感じる時もあれば、心が狭いと感じる時もある。
・弱い自分だと感じる時もあれば、強い自分だと感じる時もある。
・柔軟性がないと思う時もあれば、柔軟性があると思う時もある。
・夢が叶わないと思う時もあれば、夢が叶えられると思う時もある。
・観察力が鋭敏だと思う時もあれば、鈍感だと思う時もある。
・安心感をもつ時もあれば、不安になる時もある。
どちらの感じもその時々の自分の状態で決まってくるようです。きっと都合のよいように子どもを見ているように思います。
ということは、明確なものはないということでしょうか。
でも、わくわくする心地よさはあるのです。
もっと深い所に子どもとの関わりの意味ががあるのではないかと考えることができます。
子どもへの見方や自分への見方が変わっても、子どもは、自分を生かしてくれる対象であることは間違いありません。
子どもから離れてみると、わくわく感が弱くなります。
子どものことを考えていると、わくわくした感じがよみがえってきます。
わくわくした気持ちでいられる時間が、長く続けば、幸せな気分でいられます。
子どものしあわせを考える時間がもっと増えれば、きっともっと幸せなのかもしれません。
一人一人が歩む人生は、1つしかありません。自分が楽しく生きるか、苦しんで生きるかは自分次第です。どうせ生きるのならば、楽しく生きたいと思いませんか。
わくわくした時間がどんな時に現れてくるのかをよくみつめてみると、気づいていない自分の素晴らしさが発見できたり、新たな関係を創り出したり、自分の世界を広げる可能性を感じたりすることができます。
何て、人間は素晴らしい存在なのでしょう。