可愛そうだ、辛そうだと感じるとそばにいたくなったり、手助けをしてあげたりしたくなることはないでしょか。
 考えるというよりも感じるとつい体が動いてしまいます。相手に働きかけてしまいます。

 刺激を受けるとすぐに反応してしまうのが、私たちです。そして、その感じ方を疑うことは、ほとんどありません。

 寒いと感じても、それを「寒い」と感じてはだめだという人はいません。 
 辛いと感じたと聞いたら、「そうか。辛いのか。」とは言いますが、ほとんどの場合、「辛いと感じていいのだろうか。」とは言いません。言うとしたら、相手を意図的に鍛えたいとする対象がある場合でしょう。

 でも、人権感覚だけは、感じ方を疑わなくてはならない感覚です。人権感覚は、自分自身に働きかけるよりも相手に直接働きかけることになります。また、人に対する見方・考え方・感じ方ですから、対象を変えたら、対応が変わる等というような器用なことはできない感覚です。
 働きかけが直接相手の刺激になるから、影響は大きくなります。

 ですから、自分の感じ方を疑う必要があります。

 対応の仕方によっては、人を巻き込み、自分の人権感覚を広げようとする場合もあります。疑うことなく人を巻き込んだ場合の相手に対する影響の大きさを考えることなく、行動してしまっては、取り返しがつかなくなります。

 配慮をし過ぎることは、この人権感覚についてはありません。

では、どのように配慮できるのでしょう。

他人の事を自分事にすることが大切な配慮になるのではないでしょうか。

 これは、なかなかできないものです。多くの場合、人に起きることを自分に置き換えないでいるから安全で気楽になれるのです。
 でも、自分の体の一部に起きていることだと感じると、安全ではなくなってしまいます。
 この人に起きることは、自分にも起きることだと感じることができれえば、他人事にはならなくなります。

 これは、感覚です。人が痛いと感じたことを自分も痛いと感じるのですから、なかなか難しいのです。

 同じような体験をすれば、きっとその感覚はあるのですが、そのような体験がなければ、なかなか感じることはできません。

 人とうまく関われなくなった人が多くなっている今の時代。この人権感覚も磨かれなくなっているのではないかと心配です。

 体験を重視し、人と関わることの失敗体験が多ければ、その分の学びも多くなります。幼い頃にこの体験を十分させ、人権感覚を磨くための機会を増やすことはとても重要だと感じています。

 昔と遊びが変わってきている分、人との関わり方を学ぶ機会が少なくなっているのが今の子どもです。遊びの中でのトラブル解消が人権感覚を磨くよい機会だと思います。

 外遊びを友達としている子どもたちをしているとほっとします。