私たちは、一人ひとりを大切にしたいと常に考えて、指導をしています。そして、できる限り個に応じた指導になるように心がけています。
 
 個に応じた指導が、指導する子どもに合っている指導かどうかは、別になります。

 私たちは、相手に対して何らかの希望や期待をもっています。ですから、その願いをもっている時に例えば、「この子には、こんな指導が必要だ。」と、考えることがあります。

 これも個に応じた指導になります。しかし、子どもがそれを望んでかどうかは分かりません。

 教師の願いが強ければ、子どもは、
・先生が言うから
・先生の期待に応えたいから
・学級の仲間が認めてくれるから
などという思いで頑張ろうとします。これは、子ども自身が望んでいるものではありません。

 当然、教師の期待に応えられれば、自信にもなります。そして、ある程度の達成感をもちます。しかし、本当の自分の願いではないので、満足はできません。

 また、期待に応えられなければ、自信をなくしたり、教師を責めたりします。できなかった原因を探って努力しようという気持ちにはなれません。

 子どもが望むことならば、失敗を失敗とせず、何とか頑張ろうと原因を探って、再度挑戦しようという気持ちももてます。

 つまり、内発的な動機付けによる場合と外発的な動機付けによる場合の違いがこの行動の違いとして現れてくるということです。言い換えると、子どもの行動の裏にある心のあり方が問題だということです。

 私たちが指導しようとすることの多くは、外発的な動機付けになります。本当に子どもに合った指導とは、子どもの心に合っている指導になります。そのためには、常に子どもの心を探る努力をしなければなりません。

 子どもがどんな思いでいるのか知るためには、常に子どものそばで「この子は、どんな思いで行動しているのだろうか。」と探り続ける必要があります。

「今、あなたはどんな気持ちでそれをしたの?」
「今、こんな気持ちでしたのかな?」
「それとも、こんな気持ちがあったのなか?」
などと、子どもの心を探る努力をしていると、行動を見ただけで、子どもの心が分かるようになってきます。

 これは、褒めたり、叱ったりすることでも同様です。子どもの願いと合っていることを褒めたり、叱ったりすることならば、子どもは受け入れやすいものです。それが異なっていると、子どもは、違和感を感じます。
 褒められても素直に喜ぶことができません。叱られれば当然受け入れられず反発をしたり、教師側に責任を転嫁したりします。

 子どもの心をつかむことは、私たち教師が常に意識していなければならないことの一つです。それも指導を左右するとても重要なことなのです。