子どもたちに力をつけるためには、まず学校できちんとした指導をしなければならないと考えることは、素晴らしいことだ。しかし、現実の問題として、教えれば身に付くというものでもない。指導したことをもとにして、繰り返し使いこなさなければ身に付くことはない。
となると、何度も繰り返しをする機会が必要となる。これは、学校の教育課程内ではなかなかできない。家庭に持ち込む必要が生まれてくる。宿題の意義は、この繰り返しにある。ただ、繰り返しをすることがどれ程自分にとって大切なことなのかを自覚していなければ、繰り返しをしようという気持ちにはならない。
多くの場合、教師が家庭での学習に意欲をもたせるための点検を行っている。点検カードやご褒美を用意しているのもそのためだ。家庭が学校の取り組みに協力的ならばよいが、「塾の宿題があるので、宿題を減らしてほしい。」などと言う保護者のように家庭での取り組みを優先する保護者もいる。これでは、学校と家庭との連携は生まれてこない。そして、子どもに学校での学習したことが身に付きにくくなる。
本当に身につけさせたいことは、やらせる学習ではなく、自ら求める学習だ。学校から出される宿題であろうが、塾の宿題であろうが、子ども自身が学習にどれだけの意欲をもっているかが重要になる。
目の前に現れる問題を解決するために子どもが主体的に学習を進めたり、自分のよさを伸ばすために必要だと思って学習を進めたりする気持ちにどの程度させているかが重要になる。
・家庭学習への興味関心を高める。
勉強したことやもっとしておくとよいことがあることを知る。
・家庭学習の仕方を知る。
どのように学習を進めれば力がつくのかを知る。
・評価する。
学習した成果がよい結果を生むことを知る。
例 漢字練習(正しい漢字が書ける)
学校で漢字の形や書き順、言葉の意味、熟語、使い方などを教えるが、これも繰り返し学習しなければ、漢字を使えるようにはならない。
宿題として「漢字ドリル」を利用した繰り返しを課す。課せばできるようになると思ったり、繰り返しをしないのは、子どもの責任だ考えたりする前にすることがある。
この時、低学年でよく見かけるのは、教師や保護者が子どもが書いた字が正しいかどうかを点検している姿だ。
「宿題を見てください。」という教師の言葉で、家庭で一生懸命に「子どものために」と正しいかどうかを点検している保護者の姿も見かける。これでは、教師や保護者の時間がどれだけあっても足りなくなる。
子ども自身が自分が書いた字が正しいか、正しくないのかを判断しないと次に同じ失敗を繰り返す。
子どもに点検をさせると「いい加減になる。」から点検させないというのでは、自ら正しく判断する機会を奪うことになる。子どもが正しいと判断したのか、それとも間違っていると判断したのか、自分で○をつけることで見ることができるのに、その機会を奪っていることになる。 つまり、いい加減の○というのは、子どもが間違いに気づいていないから○にするということなのだ。だから、○をつけた時に、「それは間違いです。」と言う必要がある。なぜ、間違いかその理由を明らかにすれば、子どもはその視点で判断できる事になる。同じ間違いをするのは、気づいていないからだ。
だから、教師や保護者が点検するのは、「子どもが自分が書いた字を正しく評価できるようになっているかどうか。」ということになる。
自分の書いた字を正しく判断できるようになれば、子ども自身が自分の判断に自信をもつことができる。そうすれば、いつまでも教師や保護者がそばについていなくても済む。
少しずつ手を離し、自らできるようにしていく過程を教師や保護者が考えて子どもを見ているかどうかが大切になる。
1 子どもと一緒に点検をする。(点検の仕方を学ぶ)
2 子どもだけで点検をし、その後、その点検の不備を指摘する。
3 その後の取り組みで、不備な点に配慮して点検しているか確かめる。
4 点検がうまくできるようになったか点検をする。
5 点検できる自分の自信をもたせる。(何度やっても間違いはない。)
自分で点検できるようになれば、教師も保護者も手を離して、子どもに任せることができる。
点検できる量も個人差がある。一律に宿題を与えると負担となる子どもも生まれてくる。こなすだけになると、こうした点検もおろそかになる。自分で点検できるようになるまでは、焦らないことだ。
となると、何度も繰り返しをする機会が必要となる。これは、学校の教育課程内ではなかなかできない。家庭に持ち込む必要が生まれてくる。宿題の意義は、この繰り返しにある。ただ、繰り返しをすることがどれ程自分にとって大切なことなのかを自覚していなければ、繰り返しをしようという気持ちにはならない。
多くの場合、教師が家庭での学習に意欲をもたせるための点検を行っている。点検カードやご褒美を用意しているのもそのためだ。家庭が学校の取り組みに協力的ならばよいが、「塾の宿題があるので、宿題を減らしてほしい。」などと言う保護者のように家庭での取り組みを優先する保護者もいる。これでは、学校と家庭との連携は生まれてこない。そして、子どもに学校での学習したことが身に付きにくくなる。
本当に身につけさせたいことは、やらせる学習ではなく、自ら求める学習だ。学校から出される宿題であろうが、塾の宿題であろうが、子ども自身が学習にどれだけの意欲をもっているかが重要になる。
目の前に現れる問題を解決するために子どもが主体的に学習を進めたり、自分のよさを伸ばすために必要だと思って学習を進めたりする気持ちにどの程度させているかが重要になる。
・家庭学習への興味関心を高める。
勉強したことやもっとしておくとよいことがあることを知る。
・家庭学習の仕方を知る。
どのように学習を進めれば力がつくのかを知る。
・評価する。
学習した成果がよい結果を生むことを知る。
例 漢字練習(正しい漢字が書ける)
学校で漢字の形や書き順、言葉の意味、熟語、使い方などを教えるが、これも繰り返し学習しなければ、漢字を使えるようにはならない。
宿題として「漢字ドリル」を利用した繰り返しを課す。課せばできるようになると思ったり、繰り返しをしないのは、子どもの責任だ考えたりする前にすることがある。
この時、低学年でよく見かけるのは、教師や保護者が子どもが書いた字が正しいかどうかを点検している姿だ。
「宿題を見てください。」という教師の言葉で、家庭で一生懸命に「子どものために」と正しいかどうかを点検している保護者の姿も見かける。これでは、教師や保護者の時間がどれだけあっても足りなくなる。
子ども自身が自分が書いた字が正しいか、正しくないのかを判断しないと次に同じ失敗を繰り返す。
子どもに点検をさせると「いい加減になる。」から点検させないというのでは、自ら正しく判断する機会を奪うことになる。子どもが正しいと判断したのか、それとも間違っていると判断したのか、自分で○をつけることで見ることができるのに、その機会を奪っていることになる。 つまり、いい加減の○というのは、子どもが間違いに気づいていないから○にするということなのだ。だから、○をつけた時に、「それは間違いです。」と言う必要がある。なぜ、間違いかその理由を明らかにすれば、子どもはその視点で判断できる事になる。同じ間違いをするのは、気づいていないからだ。
だから、教師や保護者が点検するのは、「子どもが自分が書いた字を正しく評価できるようになっているかどうか。」ということになる。
自分の書いた字を正しく判断できるようになれば、子ども自身が自分の判断に自信をもつことができる。そうすれば、いつまでも教師や保護者がそばについていなくても済む。
少しずつ手を離し、自らできるようにしていく過程を教師や保護者が考えて子どもを見ているかどうかが大切になる。
1 子どもと一緒に点検をする。(点検の仕方を学ぶ)
2 子どもだけで点検をし、その後、その点検の不備を指摘する。
3 その後の取り組みで、不備な点に配慮して点検しているか確かめる。
4 点検がうまくできるようになったか点検をする。
5 点検できる自分の自信をもたせる。(何度やっても間違いはない。)
自分で点検できるようになれば、教師も保護者も手を離して、子どもに任せることができる。
点検できる量も個人差がある。一律に宿題を与えると負担となる子どもも生まれてくる。こなすだけになると、こうした点検もおろそかになる。自分で点検できるようになるまでは、焦らないことだ。