新年度に入り、新しい情報を集め、少しでも不安を減らそうと一生懸命に動いている。それは子どもに対しても同じだ。少しでも知っておいた方が今後の指導に役立つという思いから多く集めようと前任者から情報をもらったり、指導の記録を読んだりする。情報はあくまでもその子の一部でしかない。情報の使い方によっては誤った情報となってしまうことにもなるから慎重に扱いたい。
 特に人は物事を一般化して情報を伝えてしまう。例えば、「どんな子かと言えば、こんな子だ。」と話す。これも実際には関わった人の解釈でしかない。その子の一部にはそんな面があるかもしれないが、そうでないかもしれない。教師の指導の視点からそういうことに見えたのかもしれない。しかし、どんな子かわからない不安よりも、こんな子かという枠がはっきりしていた方が接しやすいので、その情報を受け取ってしまう。
 教師の指導のまずさや配慮不足でそのように見えたとしたら、本当のその子の姿ではない。しかし、一端その情報が入ると、こんな子だという色眼鏡をかけて見てしまうので、その面に焦点が当たり、強調されてそのように見えてくる。
 子どもの行動の多くは、反応だ。教師のどんな働きかけでそうなったのかを捉えることの方が本当は大事だ。解釈はあくまでもその人の指導の元での反応だ。それよりも、こんな指導をすると、こんな反応をする子なのだという捉え方がとても重要になる。これは解釈ではなく、事実だ。それは、多くの場合、記録に関わる情報として残されていることが多い。この方がこれから指導する側として、注意を払うことができ、役に立つ。
 子どもたちは、新しい先生と出会って、心機一転頑張ろうとしている。そんな子どもたちの頑張りを素直に受け取ることができれば、子どもにとって幸せだ。色眼鏡で見られていたら、その頑張りも「ひょっとしたら、これは本当ではないかもしれないぞ。」と疑いのまなざしで見られてしまうことになりかねない。
 不安はあっても直接関わりをもって反応を確かめることが一番大事だ。集める情報は、予備知識としてのみ役立つ。解釈は自分と子どもとの関わりの中で作ればよい。真っ白なキャンパスにこれから色を付けていくのだという気持ちで、子どもとの関わりを作っていきたい。
 新しい出会いは、新しい自分を作り出すチャンスだ。このチャンスには子どもだけでなく、誰もがちょっと素敵な自分を作り出そうと構えている。この構えを素直に受け止めることに力を注ぎたい。それを受け止められる教師が子どもからの信頼を得られる。