いつも子どもは「先生、こっちを見て!」とサインを送っている。
 子どもなりの願いをもってサインを送っている。

 そのサインをサインとして見られるかどうかは、こちらの見つめ方次第。

<色眼鏡をかけて子どもを見る>
 指導しようと思うと「この点はどうだろう。」と教師の側の視点から子どもを見ることがある。
 この視点がなければ、子どもを伸ばすことはできない。
だから、これは決して悪いことではない。
 ただ、教師の願いから生まれるものであって子どもの内にあるものではないことを踏まえていることが大事だと思う。

<素で子どもを見る>
 指導の意図なく、子どものあるがままを見ることは、なかなか難しい。どうしても教師の「教えたい。」「育てたい。」の意識が邪魔をする。

 何も語らず、笑顔で、じっくりと見つめる。


 子どもから反応が返ってくる。

 「先生、何見ているの?」「先生、~だよ。」などと声をかけてくる子。
 「そんなに見ないで!」と訴える子。
 にっこり笑って活動を続ける子。

 何か心と心がつながったと感じる一瞬である。

 今日、場面緘黙と言われる子どもと関わることができた。
  何も語らないが、ちらり、ちらりと授業の中でこちらを見る。何かを訴えかけてくる。
(そうだ、以前掃除中に取り組みのよさをみんなの前で紹介した子だ。場面緘黙とはその時は知らなかった。)

 「あなたを見ているよ。」・・・素で見つめ続けることで心を開いてくれたように感じた。


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