悩みを終らせるって、「もう全部諦めて、素っ裸の自分で生きようぜ」ってことなんだけど

素っ裸になるって、これまで自分につけてきた付属品を外すってことなんだよね。
認めて欲しくて
愛して欲しくて
嫌われたくなくて

素の自分にいろんな付属品をつけて着飾ってきたと思うの。

しっかりした自分~
強い自分~
常識的な自分~
面白い自分~ とかとか 山のようにあることだろう

でも、その付属品のせいで自分の姿が自分でも見えなくなってるのよ。

さらに、たくさんまとった付属品が重たくて重たくて、生きているだけでも大変になってる。
例えば、

60キロのお米をずっと背負いながら生活し続けるってすごく大変だし、何をしなくてもそれだけで疲れるじゃん?
できることも限られてくるし、大変で生きるのも嫌になっちゃう。

重たいお米を背負うことに必死すぎて、自分が何がしたいとか、どうしたいとか、そんなことさえも考えられなくなると思うの。

そうやって「どうしよう、どうしよう」って不安を抱えながら生きてる。

悩んでいるときって、そんな状態なんだよね。

付属品のついてる自分でいることに必死になってしまって、自分の行動量も行動範囲も制限されるし、付属品以外のことが目に入らなくなって視野も狭くなる。

何のために生きているのかわからなくなる。
なんなら、つらくて死にたくなる。

認めてもらうために
愛してもらうために
嫌われないために
付属品のついてる状態でいること自体がめっちゃ辛い。

だから、もうそれ終わりにしようぜ、って。
付属品を外して素っ裸で生きようぜ、ってこと。

そしたら悩みは終わる。
いいじゃん、認めてもらえないなら、それで
いいじゃん、愛してもらえないなら、それで
いいじゃん、嫌われるなら、それで

だってさ、

最初は怖くても、素っ裸になったら、すごく身軽になって、気楽になって、それだけで楽しくなるんだよ。

毎日背負っていたお米60キロがなくなって、めっちゃ身軽。
なんでもできるような自由な感覚にもなる。

そう、本当は何でもできるんだよ。
お米を背負っていなければもっともっと自由になれる。
付属品が付いていなければもっともっと自由に世界を飛び回れる。

何よりも

もう認めてもらえなくていっか~
もう愛してもらえなくてもいっか~
もう嫌われてもいっか~

そう諦めるというのは
人から解放されるということ。

これがものすごく自由な感覚。

人への執着がなくなり、
人からどう思われるかが気にならなくなる。

「もう人からどう思われてもいいや~」って思えるって、ものすごく自由なんだよね。

周囲に細心の注意を払わなくて済むようになる。
誰が何をやっていても気にならない。
自然と自分に集中できる。

自分のやりたいこと、なんでもできる。
やりたくないこと、なんでもやめられる。
文字通り、全て自分の好きに自由に生きられる。
素っ裸で自分の自由に生きるって、ものすごく気持ちいいのよ。
身軽で、気楽で、楽しくて、心地よい。

この感覚は、体験してみないとわからないと思うだけど、「生きてるだけで最高だな」「もう何もいらない」って感じるくらい、心地いいよ。

そして、そうやって素っ裸で自分の自由に生きることが「自分の人生を生きる」ってことだからね。

まだみんなは自分の人生が始まっていない状態なんだよ~。

ぜひ体験してみてほしいよね、
この心地よさをさ。

ハイリスク、ハイリッタ~~~ン♪