私の親は私の思う形で
私のことを大切にはしてくれなくて
それにずっと悲しんで
なんとか大切にしてもらうために
「いい子」になって頑張ってきてさ


それは家の外の世界でも同じで


家でも外でも苦しくて
どこにいても誰といても苦しくて
生きることがとっても辛くなってたんだけど


振り返ってみると
その中でも私はなんとか生き抜こうと
必死に頑張ってきたんだよね


その中で身についたのが
「生きる強さ」だったのかもしれない


行きたくない学校に無理やり連れてかれて
その中で生きないといけないと諦めたときから
その中でなんとか生き抜こうと
必死に頑張った


家の中でも居場所を感じられず
ずっと不安と孤独に耐えながら
1人で泣きながら
みんなの前では笑いながら
必死に頑張った


社会に出てからも同じ
環境に適応するために
常識人であるために
仕事ができる人であるために
みんなから信頼され頼られる存在であるために
みんなを笑顔にするために
必死に頑張った


そして、なんとなーくだけど
自分の思うものは手に入っていたんだよね


それでも満足できなくて
苦しくて
もうどうしたらいいかわからなくて


楽になった今、思うのは


その必死に頑張った中で身についた力を
今度は自分のために使っただけなんだなって


人のために自己犠牲までして頑張る力
怖いから怖さから逃れるために頑張る力


その力を


今度は自己犠牲をやめて自分を大切にし
怖くても自分を守るために
使っただけなんだなって


自分が強いとか、たくましくとか
全く思ったことなかったし
むしろ弱くて脆いって思ってたけど


その弱くて脆い自分を受け入れるために
これまで死にもの狂いで頑張ってくる中で
培われた「強さ」が活きたのかなって


みんなそれぞれに
苦しみながらも頑張って生きてきたじゃん


自分には力がないって
そう感じているかもしれないけど
本当はあると思うんだよね


「これまでの人生を生き抜いてきた力」


それをさ、
今度は自分のために使ってあげるだけなんだと思う


怖いから勇気がいるけどね
その勇気さえも、実はもう持っているんだよね


自分の中にあるものを発揮するだけなんだよ


人のために頑張れるなら
人のために勇気を出せるなら
自分のために苦しめるなら


自分のためにも頑張れるし
自分のためにも勇気を出せるし
自分のために幸せにもなれる






子どもは本当、たくましいよ


「生きるエネルギーそのもの」



春休み

はしゃいで走ってたら沼にハマって(笑)



泥だらけになった靴を

冷たい噴水の水で洗ってた



そのあとも

冷たく濡れた靴を履きながら

走り回って遊んで



エネルギーが尽きると

「おんぶ!」って甘えて



ご飯食べて

スヤスヤ眠って



起きたら

また生きるエネルギーの塊



みんな、そんな子どもだったんだよね



特徴はそれぞれに違っても

子どもとして

生きるエネルギーの塊だったんだよ



そして、

今はそれを忘れているだけで

大人になった今も

本当は生きるエネルギーの塊なんだと思う